富岡町は全住民が避難。佐藤君一家も親戚を頼り事故の約2週間後に茨城県鹿嶋市に避難した。鹿嶋市の小学校に転入したが、児童が少なく「みんな仲良くて輪に入っていくのが大変だった」。一緒に登校する子たちと話すようになり、徐々になじめるように。そのまま市内の中学に進み、野球部で汗を流した。「ここでないと出会えなかった友達がたくさんできた」と振り返る。
昨年夏。事故後、初めて富岡町へ一時帰宅した。美しかった田んぼは荒れ放題で、自宅にはかびが生えネズミが走り回っていた。「想像以上のひどさだった」。除染で出た廃棄物を入れた黒い袋も初めて目にした。「テレビでは見ていたけど、本当にショック。事実と認めたくなくてつらかった」
美しい自然に、地域のつながり。かつては当たり前だったが「離れたからこそ、良さに気づくことができた」と話す。
入学に伴い寮に入る。初めて家族と離れて暮らす不安や、鹿嶋市の友人と別れる寂しさもある。でも「もっと地元のことを知りたいし、双葉郡にいないとできない復興があるはず」。
将来は、地域の人々が交流できるカフェを地元に開きたい。高校では商業を学び、甲子園を目指し野球も続けるつもりだ。