東日本大震災の被災地、宮城県東松島市の仮設住宅の一室で、飯川賢太さん(33)は引っ越しに向けて準備を進めていた。仮設住宅は二間と台所しかない広さなのに、家族3人で用意した段ボール箱は20箱に上った。
荷分け作業のさなか、長男の救人(きゅうと)君(2)が、被災者からもらったおもちゃが出てきた。「これは捨てられないな」。そう言って脇の段ボール箱に詰め込んだ。
勤めていた農業生産法人を2月末に退職した。転居先は妻の彩(あや)さん(33)の実家がある埼玉県深谷市の借家だ。彩さんも福祉施設を辞めた。「被災地で生活すると心に決めたのに…」。この2年余りのことが頭に浮かんだ。
夫婦は被災者ではなく、ボランティアだった。仮設住宅の空き部屋を、ボランティアなどを対象に貸し出す制度を利用して暮らしていた。賢太さんは仙台市太白区で、彩さんは深谷市の実家で震災を経験したが、大きな被害はなかった。