2人は震災後のボランティア活動を通じて出会い、2012年3月に入籍した。「被災地が被災地でなくなるまで、地域に貢献したい」。そんな思いから本腰を入れて取り組むため、夫婦そろって転職し、10月から東松島市内に移住。11月には救人君も生まれた。
宮城・東松島 厳しい現実
家庭を持つと、見えないものが見えてきた。共働きでは子供が体調を崩したら、どちらかが仕事を休まなくてはいけない。病児保育を行う施設は東松島市にはない。同僚は急な申し出でも快く受けてくれたが、後ろめたさを感じた。仮設住宅も退去期限があり、市内で住居を探してみたものの、被災者を差し置いて探すことは気が引けた。
将来もう一人子供を授かるかもしれない。自分たちが苦労するのはいい。子供には、不自由な思いをさせたくない。不安は払拭できず、何かあれば彩さんの母親が面倒を見てくれることから転居を決めた。仕事はこれから探すという。