ルネ・マグリット「白紙委任状」(1965年、81.3x65.1cm、油彩/カンヴァス_ワシントン・ナショナル・ギャラリー、提供写真)。National_Gallery_of_Art,Washington,Collection_of_Mr.and_Mrs.Paul_Mellon,1985.64.24。(C)Charly_Herscovici/ADAGP,Paris,2015【拡大】
こうした脈絡のないモノを組み合わせ、見る者のイメージを混乱させて、いわば“迷子”にさせる手法を「デペイズマン」(転置)と呼ぶ。
27年に母国ベルギーのブリュッセルからパリ郊外に移住。24年に「シュールレアリスム宣言」し、シュールレアリスムの中心的な理論家だった詩人のアンドレ・ブルトン(1896~1966年)らと合流した。が、肌が合わなかったのか、わずか3年でブリュッセルに戻った。その後、独自の画風に向かっていく。
その路線の違いの背景として、パリとブリュッセルのシュールレアリスムの質の違いを挙げるのが、国立新美術館の南雄介副館長だ。南副館長によれば、医学を学び、フロイトの精神分析理論に大きな影響を受けたブルトンは、あくまでも無意識の世界と、夢や無意識で描いた「オートマティスム」(自動記述)をシュールレアリスムの柱に据えた。ダリやミロがそれを作風に反映したのに対し、マグリットらベルギー派のグループは、受け入れなかった。