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東日本大震災1500日 亡き弟へ届け こいのぼり空高く (2/4ページ)

2015.4.18 07:00

大曲浜新橋に並んでなびくこいのぼり=2015年4月17日、宮城県東松島市大曲(岡田美月撮影)

大曲浜新橋に並んでなびくこいのぼり=2015年4月17日、宮城県東松島市大曲(岡田美月撮影)【拡大】

  • 伊藤健人さん(後方)と一緒に太鼓をたたく弟の律君=2010年夏、宮城県東松島市(伊藤健人さん提供)
  • 大学4年生になり就職活動中の伊藤健人さん。「松島のために働きたい」と語る=2015年4月11日、宮城県仙台市青葉区(稲場咲姫撮影)
  • 宮城県東松島市、宮城県多賀城市

 両親と弟2人、祖父母の7人で暮らしていた。だが、4年前の3月11日、自宅から車で避難する途中、祖父の盛雄さん=当時(75)▽祖母のキセさん=当時(75)▽母の智香さん=当時(45)▽三男の律君-を大津波が襲った。

 体調を崩して入院していた父の伸也さん(49)は、津波から逃げる智香さんと直前まで電話で話をしていたが、「後ろから津波が来た」という言葉を最後に通話は切れた。それが母の最期の言葉だった。大津波は家族4人の命を奪い、思い出の詰まった家をも破壊していった。

 「何かしなければ、変になりそうだった」。津波にさらわれた4人を捜し続けた。律君は震災から数日後に見つかる。さらに、母と祖父母を捜していたとき、全壊した自宅跡の近くの木に絡まっていた青いこいのぼりを見つけた。「律のこいのぼりだ」。泥だらけのこいのぼりを洗い、律君に見えるように空高く揚げた。母は震災から1カ月後の4月11日、祖父母もその数日後に見つかった。

 伊藤家のアイドルだった律君は、やんちゃで母から一時も離れない甘えん坊だった。家族旅行で福島県いわき市の「スパリゾートハワイアンズ」を訪れて以来、フラダンスにはまり、踊りながら、よくおどけていた。母方の祖父から習っていた和太鼓をたたくと、律君も見よう見まねでたたいた。「また一緒に太鼓をたたきたい」。かなわない思いが寂寥感となって募っていく。

「何もかも流されてしまったが、青いこいのぼりは戻ってきてくれた」

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