「手間」の「手」は人を指し「間」は時を指す。手間をかけたものに良質な体験を感じるのは、言葉に示される通り、人の思いや技術、そして時間が凝縮されているためだろう。特に伝統的な仕事は驚くほど手間をかけるものが多い。食する立場、使用する立場を考え、関わる人々への感謝が込められている。むろん日本だけのことではない、世界中のどこでもまっとうな作り手に共通している感覚だ。しかし「手間」には、それぞれの国や個人ごとに、確かに特異性と言うべきものが存在する。それを決定するのはいったい何か。第一は風土である。世界中のどこでも、どこかと同じ土地はない。第二は、環境に育まれた技術とそれを磨く人だ。例えば日本では、職人が技術の研鑽(けんさん)を積むことは、“自然”“先祖”に対する造詣を深めることとほぼ同義だ。この方法論が国や個人ごとに異なり特異性となるのだろう。