のびない本質
われわれは「手間」のすべてを物理的に見ることはできない。工程を眺めることや、仕上がりの美しさを目の当たりにすることは可能だが、本質的な部分は信念や歴史の中にこそあり“感じとる”しかない。手間は細部に渡り丁寧に施した分だけ、ものごとの完成度を高めてくれる。北室白扇の現場を拝見したとき、その感情が私を強烈に捉えて離さなかった。もともと、コシや爽快感が素麺の身上と思ってはいたが、いかに表面的な理解であったのかを思い知らされた。素麺作りは極めてシンプルである。小麦粉を塩水でねり、延ばし、これを熟成させて、さらに引き延ばしながら乾燥させるのみ。現場で幾重にも繰り返される簡素化された作業は、極めて美しい。使われる器具も長い間の経験を重ねていることが容易に想像できる代物ばかりであった。そこには、ものの歴史や人の思い、技法に対する揺るぎない信念がある。「手間」とは、こうした全てに対する敬意と感謝の産物なのだ。ここに思い至ったとき、思考は現代日本に対する思いへと飛躍した。