記者会見で年内の辞職を発表する国際サッカー連盟(FIFA)のゼップ・ブラッダー会長=2015年6月2日、スイス・チューリッヒ(ロイター)【拡大】
筆者は昨年6月15日付の本欄(「金銭至上主義 サポーター軽視のW杯」)で、日本サッカー協会が、国民の心身と社会生活の健全化というスポーツの本来的振興ではなく、スポンサーをより重視し選手とファンを軽視していると指摘した。人気スポーツの多くはメディア中継によって人びとを熱狂させ、その螺線的上昇が用具やウエア業界だけではなく、スポットCMの単価をつり上げ、観客利用の巨大ビジネスとなっているのだ。
そこから熾烈(しれつ)な放映権取得競争も起きる。そうしたスポーツイベントの招致には政治家と広告代理店が、競技場とそこへのアクセス整備には建設業者と観光業者が絡んでくるから、選手やファンはその利益収奪構造の中では、軽視されるのが現代のメディアスポーツなのだ。
ところが多くの報道にはこの視点が希薄で、関係役員の収賄や国際的なスポーツ用具メーカーの贈賄疑惑などに焦点をあて、挙げ句の果ては、有名選手の怒りの声を紹介して庶民の溜飲を下げさせているだけだ。たとえば、ブラジル代表のストライカーであったロマーリオ氏は、自国のサッカー連盟会長を名指し辞職を要求。元イングランド代表主将のベッカム氏は「サッカーは一握りのトップが牛耳るものではなく、このスポーツを愛する世界中の人々のものだ」と批判した。日本代表の本田圭佑選手は「ブラッダー会長が辞める男気は、日本の管理者も見習った方がいい」と語ったなどと。