青と赤のアジサイに挟まれるようにして、顔をやや斜に構えて立っている和服の美女にうっとりしながら、日本の空間における奥行きについて考えてみた。
明らかに美女は2つのアジサイの間に位置している。しかし、不思議なことに、このアジサイの間にどのくらい距離があるのか、美女はその間のどの辺に立っているのかを判断する糸口がない。すなわちここでは、青のアジサイ、美女、赤のアジサイという紙のように薄いものが3つ重なりあって、世界が構成されている。前後関係があるのは疑いようがないのだが、奥行きがなくて、空間全体が極薄なのである。手前の白い花ビラが、薄いものの重層という印象をさらに強めて、圧倒的である。
ヨーロッパの絵画では、このような、極薄空間、薄いレイヤーが重なっただけのようなミルフィーユ空間が描かれることはまずなかった。
かの地では、絵画に登場する要素は、どれも豊かな陰影によって、重厚な立体感を与えられ、その彫刻的立体同士も、奥行きのはっきりした遠近法的空間の中に、前後の距離をしっかりとって、並べられるのである。そこはすべてが厚く、奥行きがある。