だから、江戸時代末期から明治にかけて日本を訪れた欧米の博物学者やプラントハンターたちは、目の色を変えて日本のユリを探し回り、球根を本国に送った。明治時代から戦前までユリの球根は日本の有力な輸出品でもあった。欧米の愛好家にとって、日本は「ユリの王国」だったのだ。
ユリは栽培が案外難しく、品種改良によってゴージャスな種類が次々と生み出されたのはバイオテクノロジーが進んだ1970年代から。ユリの品種改良は日本国内ではあまり進まず、成果をあげたのは欧米の園芸家たちだった。
例えば、純白で大輪の花を咲かせ、結婚式やお祝いの花束でおなじみとなったカサブランカは、ヤマユリ、タモトユリといった日本の自生種を元にオランダで開発された。タモトユリは自生地の鹿児島・トカラ列島で戦後、高値が付いた球根が乱獲されて絶滅状態になり、いまでは一部の植物園や園芸家が継承している悲劇のユリだ。