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広島 原爆の日 「二度とないように」 誓いの祈り (5/5ページ)

2015.8.7 08:30

原爆投下時刻に合わせ、黙祷(もくとう)する親子=2015年8月6日午前8時15分、広島県広島市中区中島町の平和記念公園(共同)

原爆投下時刻に合わせ、黙祷(もくとう)する親子=2015年8月6日午前8時15分、広島県広島市中区中島町の平和記念公園(共同)【拡大】

  • 被爆から70年を迎え、原爆慰霊碑前で祈る男性。奥は原爆ドーム=2015年8月6日午前、広島県広島市中区中島町の平和記念公園(共同)
  • 被爆から70年を迎え開かれた平和記念式典で、会場に放たれたハト=2015年8月6日午前、広島県広島市中区中島町の平和記念公園(共同)
  • 被爆から約3時間後、爆心地から約2.3キロの広島市内の御幸橋(みゆきばし)西詰で撮影された写真。竹内節子さんと見られる人物(もんぺにサスペンダー姿)が写っている=1945年8月6日(松重美人氏撮影、中国新聞社所蔵、共同)
  • 御幸橋(みゆきばし)近くで被爆当時の様子を語る竹内節子さん(83)=2015年7月21日、広島県広島市中区(共同)
  • 原爆慰霊碑の前でろうそくをともし、犠牲者を追悼する人たち=2015年8月6日早朝、広島県広島市中区中島町の平和記念公園(共同)

 自宅の屋根は吹き飛び、家族と近くのイチジク畑で過ごした。大きなけがはなかったが、かたまりのような大量の鼻血が数カ月続き、食料はなく、人々は道路の端を耕して、畑を作ったという。

 「思い出してもいいことはない」と前向きに生き、定年まで働いた竹内さんは、被爆は運命だったと考える。

 「今さら、痛かった、つらかったと言ったところで周りに分かってもらえるわけではなく、生活が良くなるわけでもない」

 被爆直後、道路に寝かされたまま息絶えた人々に比べたら、との思いも強かった。70年という月日が痛みを和らげたが、子供にも、被爆した事実以外は一切話さず、沈黙を守る大勢の被爆者の一人だった。

 沖縄や空襲を受けた町、戦後の生活、今も続く戦争被害をめぐる賠償や謝罪。「さまざまな形で、大なり小なり皆が犠牲者になるのが戦争なんです」(共同/撮影:共同/SANKEI EXPRESS

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