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緊張と重圧の「チャイコフスキー」 ロシア・モスクワ (3/4ページ)

2015.8.18 14:00

チャイコフスキー国際コンクールのバイオリン部門最終審査で、演奏後に聴衆にあいさつするクララ・ジュミ・カンさん(左)=2015年6月30日、ロシア・首都モスクワ(黒川信雄撮影)

チャイコフスキー国際コンクールのバイオリン部門最終審査で、演奏後に聴衆にあいさつするクララ・ジュミ・カンさん(左)=2015年6月30日、ロシア・首都モスクワ(黒川信雄撮影)【拡大】

  • バイオリン部門の審査会場となった首都モスクワの「チャイコフスキー記念コンサートホール」=2015年8月8日、ロシア(黒川信雄撮影)
  • 「チャイコフスキー記念コンサートホール」脇のレストラン。店内には、ホールの歴史をたどる様々な写真が飾られていた=2015年8月8日、ロシア・首都モスクワ(黒川信雄撮影)
  • 火事が発生したピアノ部門の会場「チャイコフスキー記念モスクワ音楽院」=2015年8月13日、ロシア・首都モスクワ(黒川信雄撮影)
  • 「チャイコフスキー記念モスクワ音楽院」の隣の喫茶店のテーブルには、楽譜が埋め込まれていた=2015年8月13日、ロシア・首都モスクワ(黒川信雄撮影)

 海外でも熱狂

 以来、コンクールは4年おきに開催され、数多くの若い音楽の天才を世に送り出してきた。第1回のピアノ部門優勝者、米国のバン・クライバーン(1934~2013年)は、本国では紙吹雪のパレードで熱狂的に迎え入れられたという。米国はその前年、人工衛星打ち上げでソ連に先を越されており、“敵地”でのクライバーンの活躍に人々は歓喜したというわけだ。

 第2回の優勝者であるソ連のウラジーミル・アシュケナージ(78)は翌年、コンサートを行ったロンドンに残り、後にアイスランド国籍を取得した。英紙ガーディアンへのインタビューに対しアシュケナージは、コンクールへの参加は「クライバーンの優勝に腹を立てたソ連文化相の命令だった」と証言している。コンクールは、まさに国家の威信をかけたものだった。

ソ連崩壊後の混乱

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