タリバンの最高指導者だったムハンマド・オマル師(中央右)がすでに死亡し、アフタル・ムハンマド・マンスール師(中央)が後継者に選出されたことを報じるアフガニスタンの地元紙=2015年8月1日、アフガニスタン・首都カブール(AP)【拡大】
その後、97年にも北部マザリシャリフの空港で、敵対勢力の攻撃を受け、負傷したこともある。
旧ソ連軍は89年に完全撤退し、92年に親ソ・ナジブラ共産政権が崩壊すると、アフガンは泥沼の内戦の道を進んでいく。このとき、マンスール師はいったん武器を置き、94年にイスラム神学生集団のタリバンが登場すると、96年にタリバン政権の航空観光相となった。
タリバンは国際テロ組織アルカーイダの最高指導者、ウサマ・ビンラーディン(2011年に米軍の軍事作戦により、パキスタンで死亡)をかくまったため、国際社会の制裁を受け、孤立を深めていった。偶像崇拝がイスラムの教えに反するとして、中部バーミヤンの巨大石仏を爆破し、非難を浴びたこともある。
オマル師の死を2年隠蔽
01年に米中枢同時テロが起きると、米ブッシュ政権はタリバンに首謀者のビンラーディンの引き渡しを求めたが、タリバンは拒否し、この年の10月、米軍のアフガン攻撃が始まった。マンスール師は、再び聖戦に参加したといい、政権は崩壊したものの、10年にタリバンの副指導者となった。