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西郷隆盛という近代日本最大の謎 はたして西郷は何を黙したまま散ったのか 松岡正剛 (3/5ページ)

2015.9.13 10:00

【BOOKWARE】編集工学研究所所長、イシス編集学校校長の松岡正剛さん=9月14日、東京都千代田区の「丸善丸の内店内の松丸本舗」(大山実撮影)

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 その後の西郷が日本を王政復古に導くために決定的な場面を担ってきたことはあきらかだ。慶応1年秋の列侯会議の発案、翌年正月に小松帯刀(たてわき)の別邸で木戸孝允(たかよし)・坂本龍馬と薩長同盟を結んだこと、慶応3年に入って薩摩・土佐・越前・宇和島の四藩連合を建白したこと、同6月に後藤象二郎(しょうじろう)・龍馬と薩土同盟を結んだこと、師走の王政復古の論告発布、明治1年に勝海舟と江戸城攻撃を中止したことである。

 しかし、西郷が何をしたかということを数え上げても、西郷の価値はわからない。西郷の深い本質は「何をしなかったか」にあった。

 西郷は維新政府のやりくちに肯(がえ)んじられず鹿児島に引っ込み「私学校」をつくり、砲隊学校・幼年学校・吉野開墾社を発足させた。それが新政府に対する謀反の意思だとみなされたのだが、西郷は大久保利通や山県有朋(やまがた・ありとも)の「制裁」を正面から受け、何も弁明せずに討ち死にしていった。

 これで西郷の謎はますます永遠のものになったのだ。「敬天愛人」という4文字がのこされた。日本陽明学に謎を解く鍵のひとつがあるだろう。

西郷の「負」に迫った名篇「南洲残影」

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