冠水したままの道路を歩く人たち=2015年9月13日午前、茨城県常総市(共同)【拡大】
そのうち、ワイヤにつながれた自衛隊員が降りてきた。「死にたくない」。純子さんは必死にしがみついた。その後のことはよく覚えていないという。同時に救助された哲雄さんによると、避難所に着くまで、ずっと小さくうずくまっていた。
「考えても仕方ない」
避難先の石下総合体育館は、自宅と違いトイレや段差の位置が分からない。「これからどうなるのか」と、初日の夜は一睡もできなかった。
白杖は救助の際に投げ捨て、障害者手帳も置き忘れた。体育館にテレビはなく、持参したラジオもなぜか電波が入らない。情報を得るには周りの話を聞くしかない。「みんな大変なのに新聞を読んでとは頼みにくいよね」。2日間、夫婦で1枚の毛布にくるまったが、用意された毛布の数が増えていたことに気付かなかった。
それでも夫婦は笑顔を絶やさない。「あれこれ考えても仕方ないって割り切った。死ぬかと思ったのは東日本大震災に続いて2回目。慣れたのかな。人間って不思議だね」と純子さん。
12日からはボランティアの手も回り始め、気分転換に外出したいと思えるようになった。「ここには着替えも食事もある。なにより生きているだけで十分だよ」(SANKEI EXPRESS)