2失点したアーセナルはなすすべなく敗れたが、観戦者にとっては何ともモヤモヤした試合だった。何よりも残念だったのが、前半のハイテンションとはうってかわり、後半はスポーツとしての魅力が乏しく凡庸なゲームになってしまったのだ。コスタは勝利をたぐり寄せる彼なりの方法を用いたが、それはアンチ・フットボーラーのメソッドだった。そして、サッカー選手が正々堂々相手と対峙(たいじ)することを否定したことがいかに愚かであるのかを、そのあと偶然視たテレビ中継で知ったのだ。
僕の目の前でたまたま始まったTV放送が、ラグビー日本代表のW杯初戦、南アフリカ戦だった。正直、そこまでラグビーについては詳しくないし、雑誌や報道をみて元・世界チャンピオンの南アに勝つことは難しそうだということを伝え聞いていたくらいだ。ところが、同じイギリスのブライトンで16時40分に開始した試合は、悶々(もんもん)とした心持ちを消し去る爽やかさで僕の胸に迫ってきた。
スポーツライターの藤島大は、『人類のためだ。』(1)というエッセー集で、ラグビーについてこう記している。「停滞する密集におそろしいほどの労力を費やし、これ以上は動かないと思われるスクラムを延々と押す」。