サイトマップ RSS

【国際政治経済学入門】対米協調で沈む日本経済 30年間変わらず (2/4ページ)

2015.10.7 09:30

プラザ合意後の日米GDP(国内総生産)と株価(1985年=100)=1985年~2014年

プラザ合意後の日米GDP(国内総生産)と株価(1985年=100)=1985年~2014年【拡大】

  • 1985年のプラザ合意の舞台となったプラザ・ホテル=2015年8月19日、米ニューヨーク(ロイター)

 合意前、1ドル=240円前後だった円の対ドル相場は急上昇を続けるのだが、ベーカー米財務長官(当時)はドル安・円高水準はまだ不十分、とたびたび口にする。1年後には150円前後になると、米側も止まらないドル安にあせり始めた。87年2月にパリ・ルーブル宮殿で開かれたG7(G5とイタリア、カナダ)蔵相・中央銀行総裁会議で為替相場安定のためのルーブル合意が成立した。ドイツがその後、対米協調を拒否したために、合意は空中分解し、ドル安、株安、国債相場下落の「トリプル安」への不安が高まり、87年10月19日にはニューヨーク・ダウ工業平均株価が一挙に前週末終値比22.6%の史上最大の暴落に見舞われた。

 G7の中で米国に忠実なのは日本だけである。米国の意を受けて、大蔵省は日銀に圧力をかけて利下げさせ、超金融緩和を続けさせた。あふれる円資金は株と不動産市場に流れ込んで、バブルを膨張させた。一部は米国向けの不動産や証券投資や直接投資に振り向けられ、米市場に寄与する。

株価は超低空飛行

産経デジタルサービス

産経アプリスタ

アプリやスマホの情報・レビューが満載。オススメアプリやiPhone・Androidの使いこなし術も楽しめます。

産経オンライン英会話

90%以上の受講生が継続。ISO認証取得で安心品質のマンツーマン英会話が毎日受講できて月5980円!《体験2回無料》

サイクリスト

ツール・ド・フランスから自転車通勤、ロードバイク試乗記まで、サイクリングのあらゆる楽しみを届けます。

ソナエ

自分らしく人生を仕上げる終活情報を提供。お墓のご相談には「産経ソナエ終活センター」が親身に対応します。

ページ先頭へ