合意前、1ドル=240円前後だった円の対ドル相場は急上昇を続けるのだが、ベーカー米財務長官(当時)はドル安・円高水準はまだ不十分、とたびたび口にする。1年後には150円前後になると、米側も止まらないドル安にあせり始めた。87年2月にパリ・ルーブル宮殿で開かれたG7(G5とイタリア、カナダ)蔵相・中央銀行総裁会議で為替相場安定のためのルーブル合意が成立した。ドイツがその後、対米協調を拒否したために、合意は空中分解し、ドル安、株安、国債相場下落の「トリプル安」への不安が高まり、87年10月19日にはニューヨーク・ダウ工業平均株価が一挙に前週末終値比22.6%の史上最大の暴落に見舞われた。
G7の中で米国に忠実なのは日本だけである。米国の意を受けて、大蔵省は日銀に圧力をかけて利下げさせ、超金融緩和を続けさせた。あふれる円資金は株と不動産市場に流れ込んで、バブルを膨張させた。一部は米国向けの不動産や証券投資や直接投資に振り向けられ、米市場に寄与する。