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【国際政治経済学入門】対米協調で沈む日本経済 30年間変わらず (3/4ページ)

2015.10.7 09:30

プラザ合意後の日米GDP(国内総生産)と株価(1985年=100)=1985年~2014年

プラザ合意後の日米GDP(国内総生産)と株価(1985年=100)=1985年~2014年【拡大】

  • 1985年のプラザ合意の舞台となったプラザ・ホテル=2015年8月19日、米ニューヨーク(ロイター)

 80年代末から90年代初めにかけ、政府・日銀は金融引き締めに転じるとともに、不動産部門への融資を制限、株と不動産のバブルは崩壊、日本経済は90年代後半から慢性デフレに陥り、現在に至る。

 金融危機を乗り切った米国のほうはどうか。プラザ合意の85年に対外債務が対外債権を上回る純債務国に転落した米国の債務は以降、膨らみ続けていく。90年代末には株式の「ドット・コム・バブル」崩壊、08年9月の「リーマン・ショック」を経たのだが、FRBによる量的緩和政策によって株価を引き上げ、株価主導で景気回復を軌道に乗せた。

 株価は超低空飛行

 グラフは85年当時を100とする日米の名目国内総生産(GDP)と株価の指数である。一目瞭然、米国はブラックマンデーの衝撃を乗り越えたあと、株価が先導する形でGDPは順調に増大してきた。2014年のGDP規模は1985年の4倍である。

日本が沈むパターンは30年経っても変わらない

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