【BOOKWARE】
ぼくには長らく確信してきたことがある。それは、日本人がなによりも親しく味わうべきなのは三味線とその音楽文化だろうということだ。
仏教も神祇も能も歌舞伎も、お茶も花も弓も剣道も知っておいたほうがよいけれど、三味線がもたらしてきたものこそ、これからの日本人が取り戻すべき真髄であって、日本人が感じてきた心の響きなのである。このこと、ほぼ信念に近い。
琉球の三線(さんしん)が三味線に生まれ変わり、盲人の検校(けんぎょう)たちによって本手と破手をもつ独特の組歌になっていったのは江戸初期のことだった。たちまち浄瑠璃が誕生して、半太夫節・義太夫節・一中節を生むと、そこから常磐津・豊後・清元・宮園・新内・富本などが次々に派生して、それはそれは微妙な流儀になっていった。切なくて、粋で、官能的だった。そのいずれもが今日なお継承されている三味線音楽なのである。
一方、日本には神謡や和歌に始まり民謡や隆達小唄や数え歌に至る「うた」の伝統がある。そこには江戸の長唄、明治の小唄、昭和の演歌までが入る。これらもその多くが三味線によって伴奏され、三味線によって新作を生んできた。