幕末の「文化人」たちの危機感を決定的にしたのは、隣国・中国で起きた「アヘン戦争」(1840~42年)だ。エドワード・ダンカンが描いた、教科書でもおなじみの「アヘン戦争図」(1843年)では、最新兵器を積んだイギリスの蒸気船が、清の帆船を木っ端みじんにしている。
清朝末期の思想家、魏源(ぎげん)が1843年に書いた「海国図志(かいこくずし)」では、地理情報だけではなく、各国の歴史や国情、さらには造船や銃火の製造技術についても説明している。アヘン戦争敗退で危機感を持った魏源は本を通して、西洋の最新式の軍事技術を導入する必要性を説いた。
勝海舟の愛読書
この本が日本に入ってきたのは1851年。一度は禁書として回収されるが、54年に一部の競売が許された。これを読んだのが、佐久間象山、吉田松陰、勝海舟、西郷隆盛、坂本龍馬ら、幕末の日本を動かした人物たちだったという。
53年には、ペリーの黒船が浦賀に来港し、開港を迫る。太平洋で盛んだった捕鯨や、中国との貿易での寄港地確保が目的だった。「ペリー久里浜上陸図」(1853年、作者不明)は、上陸の様子をそのまま絵巻にしたものだ。列の角にいる赤い服の男がペリー提督だ。