そっけないようにも映るが、これが「相撲人 北の湖」の生き方を表している。自分への特別な計らいや称賛を嫌い、決められた物事を淡々と行うことを重視。「淡々と、が最も難しい。時計の針が刻むように相撲も続いてきた。この伝統を守らなければ」と力説していた。周囲も意をくんだ。
「この世界で育てられた」
「相撲界で育った」が口癖だった。父、勇三さんと師匠の三保ケ関親方(元大関初代増位山)が同じ日に死去し、葬儀が重なった。13歳で入門した北の湖理事長は、迷うことなく師匠の葬儀に参列。「相撲界のおかげで今の私がある。この世界に育てられたから、答えは一つだ」と述懐した。
相撲道の根幹である土俵と自分自身は表裏一体。最後となった本場所は、人生の徳俵で踏ん張ったが力尽きた。晩年は「力士が力を出し切ることが一番。そのためなら私は何だってする」と話した。今場所10度目の大入りとなった館内に響いた大きな拍手は、ぶれずに生きた男へのねぎらいにも聞こえた。(SANKEI EXPRESS)