総合成績首位の証、マリアローザに身を包み山岳ステージを走るアルベルト・コンタドール(スペイン、ティンコフ・サクソ)。最終日までマリアローザを守り抜き、総合優勝を挙げた=2015年5月(田中苑子さん撮影)【拡大】
ジロ・デ・イタリアのピンク色のルーツは、主催者であるRCSスポルトの関連企業が発行するイタリア最大のスポーツ紙「ガゼッタ・デロ・スポルト」の紙面の色にある。どうしてそのスポーツ紙がピンク色なのかについては諸説あるが、ジロ・デ・イタリアのスタート地点やゴール地点、またレースが通り抜ける町はまるで特別なお祭りのように、ピンク色に染まっていく。
その背後には伝統や文化が存在しているが、ショッピング街のショーウインドーにはピンク色に塗られた自転車が並び、観戦に来る子供たちは全身ピンク色の服をまとう。その光景は、誰もを笑顔にしてくれる。
ジロ・デ・イタリアの初開催は、1909年。その長い歴史の中で、何人かの日本人選手も出場してきた。1990、93年に市川雅敏、95年に今中大介、2001、02年に野寺秀徳、10、14年に新城幸也、11、12、14、15年に別府史之。そして今年は日本人史上最年少となる22歳の石橋学も出場したが、第9ステージで調子が振るわずリタイアとなった。また、これまでの日本人選手の最高位は新城幸也の2010年第5ステージでの3位だ。