心にできた「逃げ場」
私は小学2年生から水泳を始め、全国大会や合宿などで他県へ出向くことが多かった。その度に見たこともない屋根のある大きな50メートルプールに圧倒された。その驚きと憧れは、いつしか心に「羨(うらや)ましさ」を生み出し、「逃げ場」をも作り出してしまった。
記録や結果が出なくなると、自分自身への厳しい問いかけを忘れ、不調の原因を必死で見つようとした。その原因の一つが、練習施設や用具などの環境だった。
シドニー五輪出場まで、毎日のように練習していたスイミングクラブのプールは、水深が浅いところで1.1メートル。当時の私の身長は1メートル75センチを超えていた。プールで立つと水面が腰の下辺りで、選手コースだけで許可されていたスタート台からの飛び込みも慎重に恐々と練習していたのを今でも思い出す。
山梨県は田舎で、いい施設がない、物がない、情報がない…と、無い物ねだりを繰り返していた時期もある。大都市で練習をする同世代のライバルたちが良い記録や結果を出すと、「だって、良い環境で練習しているんだから。田舎で練習してる私には無理な話だ」などと思っていた。環境の問題を完全に逃げ場にしていた。