それでも道教の根本に「気」があることは一貫してきた。道教は「元気」と「玄気」を問う身体哲学であり、「まじない」や「おはらい」を重視する民間信仰であり、自然界にエネルギーの流れを読む観天望気のタオ・マジックなのである。ぼくは詳しくないけれど「接して漏らさず」を極上とした閨房術や性愛術にも長けていた。
とはいえ、屈原や李賀や李白の漢詩を読むにもタオ感覚は欠かせない。ぼくは中国を儒教や仏教だけで見るのは気がすすまないのだ。のみならず日本の神道や岡倉天心の茶の思想にも道教の霊気が入りこんでいることも感じたいほうなのだ。
【KEY BOOK】「気の思想」(小野沢精一・福永光司・山井湧編/東京大学出版会、1万800円、在庫なし)
「気」の概念は古代中国の根本哲学である。すでに『春秋』左伝に「陰・陽・風・雨・晦・明」の6つの天の気が論じられ、『淮南子』に「神気・生気・合気・望気」が、孟子に「浩然の気」が論じられた。これらの気の源を「道」や「太極」だとみなしたのがタオイズムであり、道教だった。道教研究には「気の思想」は欠かせない。それなのに「お元気ですか」を交わすくせに、日本人には「気の正体」がわかっていない。