【BOOKWARE】
ぼくの芥川読みはほぼ20年インターバルで、3度ほどやってきた。青春期はあの「銀のピンセットを弄ぶような言い回し」を、40代に入って「プロットの間架結構の絶妙な次第」を、55歳の頃は「大正文化背景の中で揺れ動く才能の微分感覚」を読んだ。いずれも裏切られたことがない。
芥川の母のフクは、芥川が生まれてまもなく発狂した。11歳でフクの実兄・芥道章の養子になってみたら、その家には江戸の文人趣味が香っていた。芥川の喪失を主題にとりこむ表現感覚と擬古的な技巧感覚は、すでにこのあたりに出所している。
病弱でやたらにアタマが切れる芥川が『羅生門』や『鼻』を書いたのは、東京帝大生として漱石山房の木曜会に出入りした前後のことである。漱石は『鼻』を褒めた。それから卒論のウィリアム・モリス論を提出し、鈴木三重吉に勧められて「赤い鳥」に最初の童話『蜘蛛の糸』を書いた。大正7年である。『地獄変』『奉教人の死』『枯野抄』もこの年だ。26歳だったが、芥川のナラティブ・スタイルはほぼ完成していた。煙草を一日180本も吸う習慣もこのころからだ。