あえて思いきって言うのなら、タルホは1923年に『一千一秒物語』を書いたとき、デヴィッド・ボウイの何たるかを先取りしていた。ぼくはそう見てきた。そういう人なのだ。ダダイストや未来派がやりたかったこと、ハイデガーが問いたかったこと、ハイゼンベルクが不確定性原理で説明したかったこと、サイケデリックアートが訴えたいこと、観世寿夫が挑みたかったこと、そんなことはとっくに見通していた。
なぜタルホがそういう人でありえたのかといえば、まったくお金や名誉と無縁であり、自分のことを口腔から肛門に向かってチューブが通っている円筒人間にすぎないとみなし、少年も文芸も官能もできるかぎり抽象的であるべきだと確信していたからだった。そして、どんな美しさも「フラジャイルで儚いもの」として表現することを選んできた。
最近の日本では、やたらに浮ついたグローバルな人材が期待されているようだが、ぼくは、あの三島由紀夫・土方巽・澁澤龍彦にとって“聖者”であった稲垣足穂こそが、都会のシルエットをまるごと遊星的郷愁とみなせるグローバルな感性の持ち主だったと言いたい。