この造船の町で1900年、当時、世界最大の戦艦として「三笠」は起工され、市民の熱烈な声援を受けて1900年11月に進水式が行われた。そして、02年3月にサウサンプトンで日本側に引き渡された。カンブリア公文書館には、その際の秘蔵写真と地元新聞の挿絵が残されている。日本が「光栄ある孤立」といわれた英国と同盟を結んだのは、この2カ月前だった。
町には「三笠」を建造した古い石積みの「船渠(せんきょ)」(ドック)が残っている。駅前からタクシーで約5分。バローの西にある対岸のウォルニー島に造船に従事した従業員の社宅が建ち並ぶ「ヴィッカーズ・タウン」がある。この通りは建造された船から名付けられており、その一つが「三笠」から「MIKASA STREET」と命名されている。三笠が建造された1900年に名付けられ、116年間、日英が干戈(かんか)を交えた先の大戦中も変えることはなかった。
「マイカサは私たちの自慢。あのロシアを負かしたからだ」
MIKASAを「ミカサ」でなく「マイカサ」と発音する「ミカサ・ストリート」の発端に住むウィリアム・ヒギンソンさんは、40年間、ヴィッカーズ社で造船工として働き、約30年前に自宅を購入して移り住んだ。「自分たちの先祖が世界史に残る偉大な戦艦を造ったことを誇りに思う」と胸を張った。