1980年代後半のバブル経済に踊った日本の企業は、「財テク」と呼ばれる投機に奔走した。財テクの儲けが本業を大きく上回る企業が続出し、財テクの巧拙が株価を左右する時代だった。
しかし、90年以降の金融引き締めと金融機関の融資を抑制する総量規制などの導入によりバブルはあっけなく崩壊し、後には多額の損失が残った。本業を上回る収益を上げるほどリスクを取った投機だっただけに、損失額は資産額を超えるほど膨れ上がり、企業の中には損失の隠蔽や処理の先送りを決め込むところも少なくなかった。そこに目を付けたのが金融技能に優れた外資系金融機関の面々だった。
中心となったのは日本に進出していた外資系証券や信託銀行であった。これら外資系金融機関はグループの機能を総動員して企業の損失の隠蔽(いんぺい)や先送りを手助けした。デリバティブ(派生商品)を駆使して利益を先食いする一方、損失は先送りするといったスキーム(仕組み)が横行した。そのスキームの中核にあったのが信託機能だった。匿名性を持つ「管理信託」などの器を介するスキームが作られ、損失は隠蔽・先送りされた。まさに「信託」はブラックボックスとして利用されたわけだ。