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【書評】『この世界の女たち アン・ビーティ短篇傑作選』

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【書評】『この世界の女たち アン・ビーティ短篇傑作選』

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『この世界の女たちアン・ビーティ短篇傑作選』アン・ビーティ著、岩本正恵訳(河出書房新社・本体2200円+税)  ■一瞬一瞬にささやかな祝福

 写真家がいれば、フィットネスの個人トレーナーもいる。人には理解されにくい病気に悩んでいる者がいれば、人知れず妊娠して悩んでいる者もいる。けれど、誰かが「この世界の」と口にするとき-その目にはいったい何が映っているのだろう?

 表題作は、4人の男女と1つのテーブルをめぐるストーリーだ。数々の趣向を凝らした手料理に加えて、各人に合わせたワインを用意して待つ女のもとに、夫と、夫の養父と、その恋人がやってくる場面から幕をあける。それぞれのカップルの間に横たわる齟齬(そご)と倦怠(けんたい)。どこか排他的な父子関係。ちいさな、でもやり過ごすことは難しい軋(きし)みの存在を会話や視線に含ませながらも、料理のテーブルはつつがなく進行していく。ところが、贈答用にとっておいた特別なワインに養父が目をつけたことで、完璧にあつらえられていたはずのディナーがあっけなく決壊する。

 作品タイトルはルー・リードの楽曲の一節から。夫の養父は裕福で、普段はいたって親切な紳士だが、同時に“自分はこの世界の女たちへの神からの贈りものだ”と本気で考えているような男でもある。そんな彼の目に映るシンプルな「この世界」からは、たやすくこぼれ落ちてしまう情景。そういった移ろいやすいものの姿を、どれもはっとするほど鮮やかな形で取り出してみせた珠玉の短篇集だ。

 抑えた筆致で生活の細部をそのまま突きつけることで、人生の真実を露呈させる-アン・ビーティはレイモンド・カーヴァーらとともに、ミニマリズムの代表的作家として知られている。今作には1980年代に発表された傑作「燃える家」から、表題作をはじめとする2000年代の短篇まで幅広く収録してある。時代的な隔たりがあるにもかかわらず、閉じ込められた空気の色はまったく褪(あ)せていない。

 困惑。悲嘆。口には出さない怒り、そして諦め。終わってしまえば跡形もなくなるもので、人生の大半は構成されている。その一瞬一瞬に、ささやかな祝福を贈るということ。ビーティの作品にはそういう光が満ちている。(アン・ビーティ著、岩本正恵訳/河出書房新社・本体2200円+税)

 評・倉本さおり(書評家)

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