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書評
【書評】『宮崎駿論 神々と子どもたちの物語』杉田俊介著
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「宮崎駿論」
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これを読まずに何を読むのか。そういう本である。
著者の杉田俊介氏は批評家にしてヘルパー。かつて「ロスジェネ」や「フリーターズフリー」などで若年労働問題に関わり、現在は主夫として子育て中という異色の書き手だ。著者は、我が子のとなりで宮崎駿(はやお)作品を観(み)ながら、マンガやアニメで育った40年の我が人生を振り返り、再び何かを始めようとしている。
題名に「論」とあるが、まったく堅苦しくはない。著者は肉声で語っている。社会学的な分析を抑制し、作品をダシにした時代論も排し、作家に対する感謝と期待のみを頼りに語る、堂々の作家論だ。
なぜ宮崎アニメの男たちはつねに呪われているのか。これが本書を貫く問いである。
たとえば『紅の豚』のポルコ。宮崎氏の自画像が豚であることは有名だ。少女や子供を、文字通り「食い物」にして肥える、男であるという欲望。この「出発点としての自己嫌悪」を、今までどれだけの人たちが本気で考えただろう。美少女の造形や、稀有(けう)な垂直感覚や、秀逸な物語構造ではなく、それらを生み続けた絶望に寄り添った者は。終わりなき自己嫌悪ゆえになおさら、自分ではない誰かのために何かを作ろうとした、厳しい精神を受け継いだ者は。
著者は、宮崎作品を丁寧に読み解きながら、この絶望を救う希望を見出そうとする。
理論的なポイントは、そうした姿勢で作られる宮崎作品が、比喩ではなく、アニメーションの語源通りに、物質に命を与える行為と等価なものとして論じられるところだ。
生きているということ。目の前の自然や動物だけではない。ありとあらゆる動いているものへの感謝。許されない欲望を持ってしまった自分ですら。宮崎氏がそれをやりおおすために、著者は、マンガ版『ナウシカ』の協働作業によるアニメーション化、その超高齢出産を提案している。
だが、本当は、そういう理論的な考察や提言より、最終節「私の言葉、私の物語」こそ読んで欲しい。杉田氏がどんな人間かがそこに示されているからだ。この時代の信じられる書き手がここにいる。(NHKブックス・本体1500円+税)
評・大澤信亮(文芸批評家、日本映画大准教授)