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【溝への落とし物】小説の始め方 本谷有希子
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妙に心惹かれる猫カフェの巨大看板。韓国で見つけました=2014年2月22日、韓国(本谷有希子さん撮影) 小説の始め方というのは、延々とどこに続くか分からないドアをノックし続けてるのに似ている。
今も私はその作業の真っ最中だ。ずらりと廊下に並ぶ膨大な数のドアをもう20日以上、片っ端からノックしている。
もちろん、たった1枚のドアを心の中で見定めていて、「えい」と開けてそのまま中に入ってしまえる作家もいるだろう。前からずっと目印をつけていて、見失わないでいられる作家が、羨ましくて仕方ない。
するりと書き出してしまいたいところなのだが、目印を忘れたり、普段からアンテナを張り巡らせるのが苦手な私は、まず自分が何についての小説を書きたいのかという心の問いかけから念入りに始めなければいけない。だが、この自分の小説を見つける、という行為の加減がなかなか難しいところで、あまりに考えすぎると、手が止まってしまうし、完璧な出だしなんて求めれば、100年あっても書き出すことができない。
そこで、ぐずぐずと座り込んでしまいそうな自分に鞭を打って、可能性のありそうな(もしくはまったくなさそうな)小説のある一部分を、何も考えずに書き出してみるのだ。さまざまな物語の断片を。
そして、自分の中にあるかすかな予感のようなものだけを頼りに、少なくとも西側のドアが怪しい、とか南側のドアのような気がする、と方角を絞り込む。だが、それでも扉は無数に存在するし、思いきってノックして飛び込んだ部屋の中に、自分の探している欠片(かけら)と似ているものが見つかってくれる可能性はかなり低い、大抵はからっぽの空き室で、私は手ぶらでその部屋を「そうだよな」とつぶやきながら退場する。これはと期待したのにゴミしかない部屋だったり、虫の蠢(うごめ)いている部屋だったりはしょっちゅうだ。室内なのに台風が吹き荒れていたり、誰かのインテリアをそっくり真似ていたり。そもそもどんな部屋を探しているのか、途中で分からなくなってしまわないように。一番気をつけていなければいけない。
「まあまあ、いいかも」という場合は、部屋の向こうにもう1枚ドアが見えている。開けると別の部屋がまた続いており、さらにドアがある。私は元いた廊下を振り返り、進むべきか、ここで踏みとどまるべきかを迷う。いっそこの部屋に決めてしまいたいという気持ちを抑え、私はもう少しだけかすかな予感が強まるほうへ足を動かしてしまう。こうしてもう20日以上、延々とドアだけを開け続けているのだ。
行ったり来たり、分からなくなって全然違う階の部屋まで訪ねたりを繰り返して、昨日、私はようやく今までで一番入りたいと思う部屋に出合った。本当に見つけたと思うドアは、その前に立った瞬間、「これかな」なんて迷いは消えてしまうものだ。やっと探し当てることができた。この中に何がいるのか、すべてが分かっているわけはないけど。
まだ、中は確かめていない。実はどうやって開けようかと、今もノブに手をかけている状態だ。ここまで来ると、今度は開け方も重要になってくる。今日、このコラムを書いたあとに、私はあらゆる開け方を試し始めるだろう、立ったままノブを捻(ひね)る方法、座って捻る方法、体当たりを繰り返す方法、一旦帰ると見せかける方法、郵便物受けからにゅるっと入る方法、鉄用のこぎりでドアごと切り刻む方法、消防車を呼んで突入する方法、ドアが自分から開くまで待つ方法、それから…。(劇作家、演出家、小説家 本谷有希子/SANKEI EXPRESS)