ニュースカテゴリ:EX CONTENTS
トレンド
【勿忘草】鉄子の原点
更新
今でこそ鉄道ファンは市民権を得ているが、私が子供の頃は「鉄子」などという言葉はなく、鉄道が好きな女性というのは社会的にほとんど認知されていなかったと思う。
小学生の頃、私は目蒲線(現在の目黒線)で通学していた。濃い緑色の車両はわずか3両。あるとき、新車両の導入に伴い、緑色の車両が廃止されるという発表を駅のポスターで見た。
毎日お世話になっていたのに、もう乗れなくなってしまうなんて。いてもたってもいられず、手紙を書いて駅員に渡した。詳しくは覚えていないが、嫌なことがあっても毎日変わらず走ってくれた車両に子供ながらお礼を言いたかったのだろう。駅員が、驚きながらも「ありがとう」と受けとってくれたのをぼんやりと覚えている。
数カ月後、自宅に1通の手紙が届いた。開けてみると、そこにはあの懐かしい緑色の車両の写真。だが、撮影場所は知らない場所だ。地方の路線でさらに車両を短くして(1両だった)、あの緑の電車はまだ走っていたのだ。
添えられていた手紙には、「手紙をありがとう。ぼくは地方でがんばって走っているので、機会があったら会いに来てね」などと書かれていた。差出人は目黒駅の駅長。恐らく駅長が車両になりきって書いてくれたのだろう。お役御免になったはずの車両ががんばって走っていると知り、随分とうれしかったことを思い出す。
結局、その地方路線に乗りに行くことはなかったが、出張や旅行で電車に乗るとやたらに興奮してしまう自分の原点は、もしかしたらこの時の思い出にあるのかもしれない。引っ越して目蒲線との縁が薄くなった今も、地下鉄乗り入れで路線が延びた目黒線に乗るたび、あのときの手紙を思い出す。
社会人になった今なら、駅長が個人的な時間と労力を使ってあの手紙を書いてくれたのだろうと予想が付く。東京五輪開催が決まり、日本全体が「おもてなし」力向上に余念がないが、ファンを獲得し、喜ばせるのは、こうした個人の地道な努力なのだ。
恥ずかしくて駅長にお礼を言えなかった子供はその後、しっかり鉄子に成長。今日も地下鉄の路線図を見て、にんまりしている。(道丸摩耶/SANKEI EXPRESS)