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【溝への落とし物】気遣いすぎる日々 本谷有希子
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ほんだしを買い忘れないために撮った、ある日の、ほんだしの写真=2014年1月15日(本谷有希子さん撮影) 体が冷えてしまうからと、友人が氷抜きでジンジャーエールを注文したのに、うまく伝わらなかったらしく、グラスの縁いっぱいまで氷が詰まったジンジャーエールが運ばれて来る。本人は少し困った顔をしたあと、まあいいか、と口を付け出したが、私は彼女の腸が冷えすぎるのではないかと、心配でたまらない。そこで、途中で空のグラスをこっそりもらいに立った私は、しゃべっている彼女の手前にそのグラスと小さなスプーンを並べて、そっと置くことにした。そうすれば彼女が、いつ氷をジンジャーエールの外に思いきりかき出したくなったとしても、平気だと思ったのだ。
だが、彼女はそんな状態には一度もならなかったし、テーブルに置かれた空のグラスの意味について真剣に考える人も、誰もいなかった。
最近、会話の中にやけに「仲間」という言葉を使っている人に出会った。釣り仲間。旅行仲間。オークション仲間。だが、私には彼がどの程度の間柄の知り合いを、「仲間」と呼んでいるのかが、いまいちよく分からない。いつか彼がその仲間たちから手痛い仕打ちを食らうのではないかと心配で、さりげなく「仲間」の定義を一度よく考えてもらおうとするが、伝わらない。こうなったらと、私は彼が自分のことを軽々しく「仲間」と言った瞬間に、いつでも激怒できるように待ち構えているのだが、なぜか彼は私のことを仲間とは一切呼ぼうとしない。
見知らぬ人が、親戚の子と今日会ったばかりのその子の友達みんなを、ディズニーランドに連れて行ってあげたいと、思いつきで言い出す場面を目撃した。通りかかっただけとはいえ、それはやや出過ぎたまねなのではないかと忠告するべきなのだろうか。だって、もしかしたらその子供の親は、何かとっておきの日のためにディズニーランドをここ数年、温めているかもしれないし、そんな簡単に連れて行ってしまえば今後、子供たちのミッキーへのありがたみが目減りするかもしれない。親が悲しむだろう。そして、家庭がぎくしゃくするだろう。離婚もあり得る。そんな因果関係を少しも考えないで、ただ刹那(せつな)的に、子供たちの人気者になろうとするその人のことを、私は遠くからにらみつけるが、その矢のような鋭い視線はまったく気づかれず、すぐに宙にぼとりと落ちる。
テレビの音楽番組で流していた、あるバンドを密着して追ったドキュメンタリーが、あまりにひどい演出で、布団に入っても眠れない。地道に活動を続けているバンドが、あれではまるでただの売れなかった敗北者ではないか。何も知らずドキュメンタリーをみたら、誰もが彼らを苦労人として片付けてしまうだろうと、私は布団を抜け出して、独り地団駄を踏む。あれでは視聴者も、売れれば幸せで、売れなければ不幸せなのだ、という狭い考え方の枠から出ようとすることもない。
あのドキュメンタリーでカメラが追うのは、長年の全国移動で痛めてしまったバンドメンバーの体ではなく、移動車を飛び出して彼らがチョウチョウを追いかけている姿だ。売り上げを出すために自ら行うグッズ販売の様子なんかどうでもいいから、彼らが自分たちの音楽を手放さずに続けてこられた奇跡を、小鳥たちが取り囲んで祝福している昼下がりを映せばよかったのだ。エンディングには、売れたその後、自分の音楽に見捨てられてしまい、廃人同然になったミュージシャンのアップを挿入して終わらせればよかったのに。貧しいドキュメンタリーのせいで、いつまで経っても怒りがおさまらない。何かが乗り移り、夜中の3時に、私は地団駄を踏みながらダンスを踊っている。(劇作家、演出家、小説家 本谷有希子/SANKEI EXPRESS)