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【世界自転車レース紀行】(15)中央ヨーロッパ 4カ国またぎ171人駆ける
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4月29日から5月4日まで、中央ヨーロッパ4カ国(ハンガリー、スロバキア、チェコ、ポーランド)を巡る6日間の「カルパチアン・クーリエ・レース」が開催された。世界各国から集まった35チーム、171人の選手が出走した。
かつてヨーロッパでは国境をまたぐレースがよく開催されていたと言うが、公道を使って開催される自転車ロードレースの場合、道路を封鎖して開催するので、警察や地元自治体の協力が不可欠となる。そのため、いくつもの国を通過することは、主催者たちにとって非常に手間がかかるものとなり、現在は数えるほどしかない。
複数国で開催される理由は、スポンサー企業の意向や古くからの伝統などだ。または「ツール・ド・フランス」のような大きな大会になると、オリンピック並みの大きな経済効果が得られるため、国を越えて大都市が大会を誘致することも多い。ただ「カルパチアン・クーリエ・レース」の場合、アンダー23カテゴリー(23歳未満)の小さな大会であり、隣国とはいえ、4カ国にわたって開催されるというのは、世界で1つだけの非常に珍しいレースだった。
大会1日目、レースはハンガリー北部のベスプレームをスタートした。2日目はスロバキア、3日目はチェコ、4日目はスロバキアから国境を越えてポーランドに入り、5、6日目はポーランドで開催された。そして最終はポーランド南部のタルヌフでゴールを迎えた。
≪先人の勇気息づく街を行く≫
この中央ヨーロッパの4カ国は「ビシェグラード4カ国(V4)」という地域グループを形成しており、非常に良い関係性をもっているものの言語や文化は異なる。主催者の多くはポーランド人であり、レースがポーランドに入ると一安心。「正直、ハンガリーでは複雑なことが多くて、主催者同士でもよくわかっていないことが多かったの…」と本音をこぼした。
そして今大会は、ヤン・カルスキ氏の生誕100周年を記念する大会でもあった。これらのレースが周回したエリア、とくにポーランドは第二次世界大戦時にナチス・ドイツによる侵略を受け、アウシュビッツ強制収容所に代表される“絶滅収容所”で、何百万人というユダヤ人が虐殺された暗い歴史をもつ。ポーランド人レジスタンス活動家だったカルスキ氏は、反ナチスの秘密国家に奉仕し、早い段階から強制収容所で行われていた大量虐殺を世界に伝えた人物だ。大会名になっている「クーリエ」とは、彼のように使命をもって水面下で動いた密使を指す。
美しい風景からは想像もつかない悲しい歴史をもつ中央ヨーロッパの国々。若い選手が一生懸命スポーツと向き合えることはとても幸せなことであり、平和の象徴でもある。選手たちが駆け抜けた土地には、正義を貫いた先人たちの勇気が息づいている。(写真・文:フリーランスカメラマン 田中苑子/SANKEI EXPRESS)