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【だから人間は滅びない-天童荒太、つなげる現場へ-】(7-1) 地元住民と「親戚」に 農夫デビュー後押し
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三角屋根のラウベが立ち並ぶ「坊主山クラインガルテン」。まるでヨーロッパのよう=2014年、長野県松本市(緑川真実さん撮影) ≪日本初の滞在型市民農園「四賀クラインガルテン」≫
週末は雄大な北アルプスを眺めながら農業を-。一般的な市民農園とは違い、「ラウベ」と呼ばれる休憩小屋に滞在しながら土いじりを楽しむドイツ発祥の滞在型市民農園「クラインガルテン」。ドイツ語で「小さな庭」を意味するクラインガルテンは、都市と農村をつなぐ新たなライフスタイルとして受け入れられ、現在全国約70カ所に広がっている。
「つなげる」をキーワードに、作家・天童荒太(てんどう・あらた)さん(54)が社会を支える人々と対話する不定期連載「だから人間は滅びない」。今回は1994年に日本で初めての滞在型市民農園として誕生した長野県松本市(旧四賀村)の「四賀クラインガルテン」を訪れた。
松本駅から約20分。集落を見おろす高台でタクシーを降りると、目の前には青々と輝く北アルプスが広がる。澄み切った空気に、思わず深呼吸してしまった。
長靴と帽子、土に染まった手。すっかり「農夫」といういでたちで迎えてくれたのは、埼玉県川越市在住のフリーライター、岡崎英生さん(70)。18年前から普段は川越の自宅で過ごし、週末になるとクラインガルテンへ通ってくるというスタイルを続けている。「いきなり定住だとハードルが高いけれど、ときどき通ってくる、というパターンがちょうどよかったのかな。今の夢は定住ですけどね」
ここへ通う前、「仕事も忙しくて、鬱屈している部分があった」という岡崎さん。自宅の近くで市民農園を借りて畑を作ってみたが、「自分は有機無農薬をやりたかったけど、他の畑から農薬が流れてきてしまう」と断念。そんなとき、雑誌で有機無農薬を利用の条件とする「四賀クラインガルテン」の存在を知った。「もともと登山が好き。ここを拠点に山に登れるかな、と思って。価格設定も比較的安かったし」。数回の抽選落ちを経て96年にやっと契約。50代にして“農夫デビュー”を果たした。
利用にあたっては、有機無農薬に加え、ほかにも独自のルールがある。冬季を除いて1カ月に3泊ないし6日以上利用し、草取りなどの必要な手入れを行う(「しばらく来ないで庭が荒れていたら、すぐにクラインガルテンから電話がかかってくる。イエローカードがたまると、来年からは契約できないんです」)。不燃ゴミは自宅へと持ち帰る、必要な日用品・資材は地区内で調達する…などなど。
≪「畑のおうち」で自慢のゴーヤ、アスパラ…≫
「不便だと思ったことは一度もないですね。むしろ、不便が楽しい。だからこそ、20年近くも続けてこれたのでしょう」
中でも特徴的なのは「田舎の親戚制度」だ。各区画のガルテナー(利用者)と地元の住民が「親戚」となり、農作業の協力や交流を行うというものだ。「野菜をもらったり、育て方を教えてもらったり…。普通の別荘では地元の人とここまで交流できないでしょうね」
岡崎さんのラウベは、大きなコブシの木が目印。約30坪の庭には、野菜のほかにも花やハーブが咲き乱れていた。一見狭いようにも思えるが、「きっちりと面倒をみれるのは、この広さが限界。一家族食べられるだけの野菜を育てるには充分です」
有機農法をクラインガルテンの講習会で教えてもらい、土づくりから始めた。当初は買ってきた苗を植えていたが、「それも違うかな、と思って」と、今は種から育てている。「この方が、野菜がこうできるんだ、とイチから学び直せる」
土を触り、植物と会話し、星空を眺めつつ眠り、壮大な朝焼けに目覚める-。「自宅に帰るときには後ろ髪を引っ張られる気分」というほどの岡崎さん。この「小さな庭」を愛しているのは、小学2年生の孫娘も同じだ。「小学校に入るまでは、ほぼ毎回一緒に来ていた。ここに通って、カエルや虫が大好きになった。『畑のおうち』に行こうよ、とよく言っていますよ」
朝とれたばかりというアスパラをふるまわれた。ポリッとかじると、濃厚な香りとうま味が口の中いっぱいに広がる。「めちゃめちゃおいしいでしょう」。どうだ、とほほ笑む岡崎さんの表情は、わが子を誇る親そのものだった。(構成:塩塚夢/撮影:フォトグラファー 緑川真実(まなみ)/SANKEI EXPRESS)
田舎の親戚制度のほか、事務局も有機栽培の個別指導や農園管理のフォロー、代替管理(やむを得ない場合のみ。有料)を行うなど、支援体制も充実している。問い合わせは、四賀むらづくり株式会社(電)0263・64・4447。