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【逍遥の児】房総半島の「理想郷」に立つ

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【逍遥の児】房総半島の「理想郷」に立つ

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 房総半島南部に「理想郷」と呼ばれる岬がある。いつか、訪れようと思っていた。夏の週末。車に乗り込み、南下する。3時間余。勝浦市で休憩する。遅めの昼食。勝浦タンタンメンを注文した。漁師たちが冷えた体を暖めるため、好んで食べ、急速に広まったという。真っ赤に染まったスープ。激辛。たっぷりのタマネギ。うまい。ひと汗かいて、出発。海岸線を走る。快適だ。目指す鵜原(うばら)・明神岬に到着した。

 さあ、歩こう。岩盤をくりぬいたトンネル。暗い。洞窟のようだ。森。ゆるやかな坂道を登っていく。せみ時雨。岬の突端に出た。視界が広がる。真っ青な海。船が白い波を立て進む。遙(はる)かかなた。水平線が見える。大きく深呼吸。ああ、気が晴れ晴れとする。

 大正時代。別荘地開発計画が持ち上がった。このころから「理想郷」と呼ばれるようになった。合資会社が広大な土地を確保。現職大臣や東京の財界人らを招待して盛大な園遊会を催した。まさに軌道に乗ろうとしたとき、関東大震災が発生した。計画は停滞し、豊かな自然が残された。

 作家、三島由紀夫。少年の日、母とともに訪れている。東京の酷暑を避け、ひと月ほど滞在した。夏休みの体験を元に「岬にての物語」を執筆した。

 早熟だが、体が弱い主人公。家族や書生とともに海岸で遊ぶ。水泳を嫌がり、傘の下で本を読む。やがて少年はひとり岬に向かう。森の中の別荘。オルガンの音が響いてくる。誘われるようにして別荘に入り込む。そして、美しい人と出会うのだ。

 三島は戦争末期の1945(昭和20)年夏、この作品を執筆した。物資が欠乏し、新しい原稿用紙は手に入らない。倹約するため、細い文字でちびちびと書き進めていったという。執筆の最中。8月15日を迎えた。終戦。8月下旬に脱稿し、翌年、発表した。

 わたしは岬を巡った。「黄昏(たそがれ)の丘」に立つ。入り江。西日を浴びてきらきらと輝く。かなた。房総のなだらかな山々が連なる。だれもいない。たったひとり。たたずむ。落陽を待つ。太陽が傾いていく。海は黄金色に染まる。ああ、見事だ。憂国の作家もまた、この情景を見たのだろうか。(塩塚保/SANKEI EXPRESS

 ■逍遥 気ままにあちこち歩き回ること。

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