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台北・故宮博物院展 万里の旅越えた69万点

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台北・故宮博物院展 万里の旅越えた69万点

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天下為公アーチの向こうに故宮博物院(本館)が建つ。美しくライトアップされ、薄暮の空に浮かび上がった=2014年5月23日、台湾・台北市(奈須稔撮影)  雨の夕暮れ。孫文の筆「天下為公」(「天下は公のため」の意)を掲げた牌楼(ぱいろう)の向こうに、ライトアップされた台北・故宮博物院の威容が浮かび上がる。

 青銅器や玉器、書画、陶磁器など約69万件を所蔵する、中国美術の殿堂。宋から清までの歴代王朝が、その正当性の証しとして形成したコレクションだ。しかし、これら珠玉の文物が台北市北部、陽明山の麓に安住の地を見つけるまでには、紆余(うよ)曲折があった。

 清朝のラストエンペラー、溥儀(ふぎ)を追放した国民党政権が、北京・紫禁城(しきんじょう)に故宮博物院を開いたのは1925年。しかしわずか8年後の33年、中国北部で日中関係が緊迫し、文物は北京から上海、そして南京へと移された。37年に日中戦争が始まると、四川省などさらに内陸へと疎開。終戦後にいったん南京に戻されたが、今度は国共内戦のため、国民党政府は危険を冒し、その一部を49年までに台湾へ移送した。

 文物は“万里の旅”とも呼ばれる流転の中、人々の決死の努力で守られてきたのだ。

 台北に故宮博物院が開設されたのは65年。およそ半世紀を経たいま、来場者は世界から約450万人(2013年)にのぼる。台湾が大陸からの団体旅行者を受け入れ始めた08年には半分の約220万人だったが、やがて個人旅行も解禁。大陸からの来場者が全体の43%を占めるほどだ。

 来年末には台湾南部の嘉義県に南分院もオープン予定。台北・故宮博物院はいまだ、拡大と進化の真っただ中にある。

 ≪至宝それぞれが秘めた物語≫

 若い女性が見つめているのは今から約2800年前、西周後期の青銅器「散氏盤(さんしばん)」。時の権力者が神と交信する祭祀(さいし)の際、水で清めるための器という。内側には350字もの銘文が整然と記されている。

 「この青銅器、実は土地の所有権を示す“証書”でもあるのです」と東京国立博物館(東京都台東区)の主任研究員、川村佳男さんが教えてくれた。

 散氏とは、この器を制作させ使用したとみられる一族。当時西周は日本の戦国時代のように小国が割拠しており、「散」もそのひとつだった。隣国と領地争いがあったが交渉の末、隣国が土地を一部割譲することで解決した-というのが銘文の大まかな内容だ。国や一族の輝かしい歴史を青銅器の銘文に残し、それを重要な祭祀で使うことで、権力を子々孫々に伝えたのだ。はるか西周の人の手による、ユニークな字の形も味わい深い。

 ちなみにこの「散氏盤」は現在、東博で開かれている台北・故宮博物院展(産経新聞社、フジテレビジョンなど主催)で鑑賞できる。このほか、世界に約70点しか現存しないといわれる北宋・汝窯(じょよう)の青磁や、三国志の古戦場を描いた武元直筆「赤壁図巻」(東博のみ展示)など、中国歴代皇帝が愛蔵した名宝が並ぶ。一見取っつきにくい古美術も、背景にある物語を知れば、奥深い魅力の虜(とりこ)となるだろう。

 【ガイド】

 台北・故宮博物院展は、9月15日まで。問い合わせは(電)03・5777・8600。その後、九州国立博物館に巡回する(10月7日~11月30日)。

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