ニュースカテゴリ:EX CONTENTS
スポーツ
【世界自転車レース紀行】(18)インドネシア 政治の影も…住民に愛され「成長」
更新
パダンパンジャンのマーケットからスタートした第6ステージ。コース横には大勢の人たちが駆け付けた=2014年6月12日、インドネシア・西スマトラ州(田中苑子さん撮影) 6月7日から15日まで、インドネシアのスマトラ島・西スマトラ州を舞台に開催された「ツール・ド・シンカラ」。2009年の初開催から、地元の人たちに愛されながら年々開催規模を大きくし、今年で6回目の開催を迎えた。
レースが大きく成長したバックグラウンドには、世界一のレース「ツール・ド・フランス」を主催するフランスのアモリ・スポル・オルガニザシオン社が昨年まで運営に協力していたことが挙げられる。今年は直後にインドネシア大統領選が控えることなどから、政治と密接な関係にある「ツール・ド・シンカラ」は予算が十分に取れなかったため、アモリ・スポル・オルガニザシオン社を呼ぶことはできず、今年は久しぶりにインドネシア人主催者のみで開催する大会となった。
蓋を開けてみると、コース設定や移動、招待チームのセレクションなどに若干の問題があり、外国人選手から苦情が上がったのは事実だが、大きなトラブルもなく、インドネシア人主催者の温かいおおらかさが大会を支えた。
インドネシアの国営銀行や国営石油関連会社などがメーンスポンサーを務めるこの大会は、前述したように政治と切っても切り離せない協力関係にある。地方自治体は大会を招致することで観光PRをし、政治家たちは大会に帯同して地方を遊説して回る。延々と続く政治家たちのスピーチが終わらないと表彰式が始まらないので、レースを終えた選手たちは酷暑のなかで待たされるが、その半面、大会の賞金総額は約1118万円とこの規模のレースとしては非常に大きな額となっている。
スポーツと政治の関係は非常に複雑で、さまざまな意見があるが、この大会の最大の魅力は、スマトラ島に住む多くの住民に愛されていることに間違いないだろう。毎年、沿道はキラキラと瞳を輝かせた子供たちで埋め尽くされる。
≪内間プロ初V 東京五輪へ伸び盛り≫
9ステージで開催された今年の「ツール・ド・シンカラ」。全日程を通して赤道直下、35度前後の厳しい蒸し暑さの中でのレースとなった。
今年から壁のような急坂を登る山頂ゴールが組み込まれたこともあり、高地に住み圧倒的な登坂力を誇るイラン人選手が終始レースの主導権を握り、33歳のベテラン、アミール・ザルガリ(イラン、ピシュガマン・ヤード)が総合優勝を果たした。
日本からは若手選手を中心としたナショナルチームが参加。暑さに強い沖縄出身の内間康平(ブリヂストンアンカー)が、大会初日の第1ステージで少人数の先行グループからゴール手前5キロでアタックを仕掛けて、単独での逃げ切りで勝利を挙げた。
内間は自転車競技の名門校、鹿屋(かのや)体育大学出身の25歳。大学卒業後はヨーロッパを拠点に活動するチームで経験を積み、これまでにあとわずかなところで何度も勝利を逃してきた苦い経験をもつ。そして、これが待ちわびたプロ初勝利となった。
その後も内間は調子を上げていき、第6ステージでも得意の下りを利用して、再び独走に持ち込んだ。ゴールまでの距離は長く、残り30キロ。単独走は空気抵抗を1人で受けるため、容易なものではない。しかし、「後ろもキツいのがわかっていたので、諦めずに自分のペースで踏み続けました」と最後まで集中力を切らさず、ゴールまでリードを守って走り切り、後続に39秒差で今大会2回目の逃げ切り優勝を決めた。
「こんな勝ち方ができるなんて! 自分でも信じられない気持ちもありますが、今日の勝利は今後の自信につながると思います」
自転車競技のロードレース種目はあまり認知されていないが、オリンピック種目である。現在、ヨーロッパのトップカテゴリーで、別府史之(31歳、トレックファクトリーレーシング)や新城幸也(あらしろ・ゆきや、29歳、チームヨーロッパカー)が活躍しているが、2020年の東京オリンピックに向けて、25歳の内間のような中堅選手や、さらに若い選手たちの強化が大きな課題となっている。ナショナルチームを率いた浅田顕監督は今大会を通じて、「若い選手たちが、内間ら先輩選手から実戦を通して指導を受け、ステージごとにレース内容が良くなっていったことが最大の収穫」と話す。日本自転車競技連盟も若手選手の強化に力を入れているが、東京オリンピックまで、あと6年。オリンピックをめざす選手たちにとって、残された時間は決して多くない。日本、アジア、ヨーロッパ……、世界のいたる場所で日本人選手は挑戦し続けている。(フリーランスカメラマンに 田中苑子(そのこ)、写真も/SANKEI EXPRESS)