SankeiBiz for mobile

【溝への落とし物】感情の誕生 本谷有希子

ニュースカテゴリ:EX CONTENTSのエンタメ

【溝への落とし物】感情の誕生 本谷有希子

更新

火の粉にさわれるほど近くで=2014年8月24日(本谷有希子さん撮影)  私はスタンディングオベーションができない女だった。

 「スタンディングオベーション? けっ、大体拍手はもうしてるのに、なんでそれをわざわざ立ち上がってまで見せなきゃいかんの」と穿(うが)った見方をしていたからでも、「あー、そんな大満足みたいな格好をしてしまったら、たとえもやもやしていても、心が体の動きのほうを信じてしまうのになあ」と無意識に感じ取っていたからでもなく、それはもっと、自分がコップの上で膨らんでいる水面の、あと一滴で表面張力が失われて飽和する、その最後の一滴のような錯覚というか、何かの代表みたいな責任感を勝手に感じていたからだった。ここで自分が満足してもないのにへらへら席を立つと、すべてが決まってしまう、みたいな、変な感覚に見舞われていたからだったと思う。

 「海底の一粒感」に飲み込まれ

 私がかつて、スポーツの応援ができなかったのも同じ理由だ。私の考えなしのひと声援が駄目押しになって、何か理解もできぬ力学がさっと働いて、まるで天秤(てんびん)が傾くように勝敗が決まったらどうしようと(そんなことはないと分かっちゃいたけど)いつも歯を食いしばっているような人間だったのだ。

 私はその「あと一押しの、その一押しを自分がやってしまったらやだなあ」という感情を「最後の一滴感」と名付けていた。

 この言葉にしづらい感情は人生経験が増えるにつれて、次第にあらゆるバリエーションを増やしていった。中でも、「最後の一滴感」にまるで対抗するように生まれたのが、「海底の一粒感」で、これは名の通り、まるで自分が海底に落ちた、たった一粒の砂になったかのような感覚である。

 このあいだ、私は観に行ったある芝居で、ついに誰よりも先陣を切ってスタンディングオベーションをしてしまった。時間を経るにつれて、あの、私だけが得点を2点持っている特別審査員としての意識が薄れていき、今となってはカーテンコールで声援すら惜しげもなく飛ばせるようになった成長の結果であるが、それにしても400人は収容しているかと思われる劇場の客席で、一人だけで立ち上がるなどと予想してはいなかったので、私は内心焦った。が、あからさまに座り直すわけにもいかない。

 このまま粘ればきっと他の観客もつられて立ってくれるはずだと、私は背中に数百人の冷ややかな視線を感じながら、外国の俳優たちに素知らぬ顔で拍手を送り続けた。ところがやはり、2回目のカーテンコールになっても、誰も立とうとしない。タイミングが悪かったのかもと、流れる音楽にあわせ、体をいかにも「さあ、立つなら今ですよ」と揺すったりもした。誰も立たない。皆、私のことなど見えていないのではないか。私は必死で全身を動かした。そのうち、自分がもうすぐ「海底の一粒感」に飲み込まれるのだと分かった。ちっぽけな砂粒。そうだ、自分なんてちっぽけな砂粒なのだ、と。

 初めての「揺れるわかめ感」

 ――が、その時、予想に反することが起きた。私の中にさっと芽生えた感情、それは「海底の一粒感」などではなかった。

 それは初めての感情、「海の中でダシを出そうと、ひらひら揺れるわかめ感」だった。

 感情の誕生だ。私は戸惑った。だが、拍手はやめられない。フカフカして音のならない両手をぶつけて体を揺らしながら、私はこれまでずっと、自分はわかめのようにもがいていたのだと思った。自分の正体はダシを出そうとするわかめだったのだと思った。どういうことか、私は感動していた。「一粒の砂感」は笑えないのに、この「わかめ感」はなぜか笑え、もがけばもがくほど楽しいのだ。そうか、そうか、と呟(つぶや)きながら、私は一人でスタンディングオベーションを続行した。一枚の揺れるわかめとして、海を、全身で掻(か)き回し続けた。(劇作家、演出家、小説家 本谷有希子/SANKEI EXPRESS

 ■もとや・ゆきこ 劇作家、演出家、小説家。1979年、石川県出身。2000年、「劇団、本谷有希子」を旗揚げし、主宰として作・演出を手がける。07年、「遭難、」で鶴屋南北戯曲賞を受賞。小説家としては短編集「嵐のピクニック」で大江健三郎賞、最新刊「自分を好きになる方法」(講談社)で、第27回三島由紀夫賞を受賞。

ランキング