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【溝への落とし物】“果て”には何がある? 本谷有希子

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【溝への落とし物】“果て”には何がある? 本谷有希子

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先日、三島賞をいただいて、お花が届きました(本谷有希子さん撮影)  LINE(ライン)のスタンプ機能は、とても便利だ。

 もともと私はなんでも基本的に億劫(おっくう)がり、メールの返信なんかも3日や4日返さないことなんてざらにあるのだが(パソコンはもっとひどい、返信がないなら私の目に触れていない可能性もあり)、このスタンプ機能というものを見よう見まねで使い出してからは、それまで表現に困っていたあらゆる気持ちが、いろんなキャラクターの表情一つで伝えられてしまうため、ついぞ頼ってしまうようになった。

 LINEスタンプにはまる

 スタンプは顔文字の進化版といえて、スヌーピーやミッキーマウスやふなっしーなどといった今まで目にしたことのある、あらゆるキャラクターたちが怒ったり笑ったり、泣いたりしている姿を、私たちは自由に選んで、言葉のかわりにピッとメールに貼り付けてしまうのである。そうすると、なんと楽なのだろう、返事をしたことになるという寸法だ。

 私が初めて買った(携帯電話の中でお気に入りのキャラクターを購入するのだ)スタンプは、トムとジェリーだった。

 その存在を知ってからも、ずいぶん長いこと抵抗していたから、頭では“誘惑されるものか”と戦っていたにもかかわらず、ある日するんと見知らぬ誰かが自分の部屋に住みついてたかのように、私はスタンプを受け入れてしまっていた。

 こういう時、“水際で堪えられるかどうかがすべて”というのは本当だった。トムとジェリーを購入してしまったあと、抵抗感はぐっと薄らぎ、ここで自分が踏ん張ることに一体どういう意味があるのだろうという気持ちになっていくのだ。キャラクターは無限に思える数の中から選べるし、その中のどれかが自分の気持ちを過不足なく伝えてくれるし、何より言葉をあてはめるというひと手間が省けるおかげで、人を待たせないで済む。

 私はみるみる堕落し、トムとジェリーに頼り始めた。うれしい時には彼らが飛び跳ねるスタンプがあり、ショックならば彼らが凍り付いたスタンプがあり、やりとりがとてもスピーディーになり、なんだか自分も社会のめまぐるしい変化についていけてるのではないか、と自信も湧き始めた。

 崖に突き進む動物のような

 だが一方で、やはりひしひしと怖いのである。こないだ、その話を人にすると、何が怖いのか、なぜ怖いのかもう少し説明してみろといわれた。私は長いこと考え、もうずっと自分たちが崖に向かって突き進んでいる動物の集団のような気がして怖い、と答えた。

 その人に私の怖さはいまいち伝わらなかった様子だった。私にもそれ以上語ることはできなかったが、この恐怖は今に始まったことではなくて、それよりも私が今新たに不思議なのは、なぜかみんなが同じ行為を表すスタンプを寄せ集めるときにだけ、その怖さや嫌さが消えてなくなるということのほうだ。

 たとえば、寝ると誰かが言い出したときに、布団に入って眠るキャラクターだけを続け合ったり、おめでとうを言うときに踊りを踊っているキャラクターだけを並べ合ったり。同じ行為を重ね合わせるその時に、私はスタンプの“本当の”使い方ができているような気持ちになるらしい。

 不思議だ。動物が崖から落ちることは決定している。けれど、落ちた先にトランポリンが偶然置かれていたり、落ちている最中に、仲間が翼をはやして飛んだりすることがあるのだろうか、なんて考えてみるようになったのは初めてのことだから。(劇作家、演出家、小説家 本谷有希子、写真も/SANKEI EXPRESS

 ■もとや・ゆきこ 劇作家、演出家、小説家。1979年、石川県出身。2000年、「劇団、本谷有希子」を旗揚げし、主宰として作・演出を手がける。07年、「遭難、」で鶴屋南北戯曲賞を受賞。小説家としては短編集「嵐のピクニック」で大江健三郎賞を受賞。最新刊「自分を好きになる方法」(講談社)が、第27回三島由紀夫賞を受賞。

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