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愛しのラテンアメリカ(16)ボリビア 先住民女性の社会的地位向上
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ラパスから約5時間山道をバスで行った村の真新しいサッカー場。エボ・モラレス大統領就任後に建設された=ボリビア・チュルマニ(緑川真実さん撮影) 南米ボリビアの都市、ラパスの様子は一変していた。主に家政婦などの職業についていた「チョリータ」と呼ばれる先住民女性の社会進出が進み、テレビ番組の司会者や公共交通機関の運転手、観光地の受付係など行く先々で彼女たちの姿を見かけるようになったのだ。
中心街を行き交うワゴン車のミニバスから行き先を告げる少年たちの声はもう聞こえない。木箱を持った靴磨きの少年も姿を消し、児童労働は減少していた。目抜き通りにはチョリータたちの広告や看板が増え、先住民をモチーフとした壁画が大きく描かれている。明らかに、先住民の社会的地位が向上したことを示していた。
このめまぐるしい変化は、2005年に先住民出身者として初めてボリビアの大統領に当選した、エボ・モラレス大統領の就任から始まる。
そもそも日本におけるボリビアの知名度は低い。最近では、雨期になると表面に数センチから50センチの水が溜まり太陽の光に反響して鏡のような美しい姿を見せる「ウユニ塩湖」が有名になったが、15年以上前の1997年、私のボリビア留学が決まったときは、名前が似たヨーロッパの「セルビア」と友人に勘違いされるくらい知る人は少なかった。
ボリビアは国土の約3分の1をアンデス山脈が占め、ラパスは標高約3600メートルと、富士山よりも高い場所に都市がある。マチュピチュのあるペルー、タンゴで有名なアルゼンチン、サッカー王国ブラジルなど5カ国に囲まれた内陸国。人口構成は先住民が55%、先住民とヨーロッパ人の混血が32%、ヨーロッパ系がわずか12%と先住民系の住民が圧倒的に多い。それにも関わらず、植民地時代の名残で、歴代大統領はみな白人だった。そして社会も白人主導で回っていた。
当時、交換留学生を受け入れる裕福な家庭は、豪邸に住む白人系の家族ばかりで、ほとんどの家庭にチョリータのお手伝いさんが住み込みで働いていた。人種の差がそのまま貧富の差につながり、同じ国で生活しながら文化も仕事も食べ物も、まるで別世界のように区切られていたのだ。
≪歴史的転換にも意外な反応≫
日本で初めて「初の先住民出身のボリビア大統領誕生」のニュースを聞いたときは飛び上がって喜んだ。当然、白人のホストファミリーや友人らもこの歴史的転換を歓迎していると信じた。人種差別や所得格差が少しずつでも解消され、真の共存に向けて一歩を踏み出したことは、誰にとっても喜ばしいはずだ。
ラパスに到着早々、車で迎えに来てくれたホストファミリーの兄弟の弟、アンドレスに身を乗り出して大統領の感想を聞いてみる。すると、反応は意外なものだった。「うーん…」と困った表情を浮かべ、歯切れが悪い。「まあねえ。あまり人気はないよね」と一言。いつも愛情をたっぷりと注いでくれたホストファミリーのお母さんにも同じ質問をしてみた。ユニセフに勤めていた彼女なら、きっと違う答えが返ってくると期待したが、評価は厳しいものだった。
「独裁者」「コカ栽培を仕切ってぼろ儲けしている人」。福祉の充実を目指した政策も、「貧しい人を対象にしたポピュリズムに過ぎないでしょ」と一刀両断。「一時的な支援よりも雇用の創出に力を入れて、安定収入と保険を整備する方が大切でしょ」と手厳しい。まっとうな意見だが、実現に時間がかかるのも事実だ。
大統領に対する世間の反応は両極端だった。政策の恩恵を受けている人は支持し、受けていない人は批判する。つまり、貧困層は支持し、富裕層は不支持というわけだ。本音というより、まるで社会的立場上、各々の役回りを演じているようにも映り、富裕層は批判によって自らのステータスを保っているようにも見えた。(写真・文:フリーカメラマン 緑川真実(まなみ)/SANKEI EXPRESS)