ニュースカテゴリ:EX CONTENTS
トレンド
「つらさ」と向き合い終末期ケア追求 ホームホスピス「楪」
更新
入居者に寄り添うホームホスピス「楪(ゆずりは)」代表の嶋崎淑子さん(左)と、ともに働く北山真樹さん(右)=2014年8月25日(日本財団撮影)
「新しい、つらさが出てきました。でも、問題が出てきたときが、次の段階に進むとき。もっといいケアを追求したい」
自宅のような場所で人生の最期を迎えられるホームホスピス「楪(ゆずりは)」を東京都小平市に開設して4カ月。代表の嶋崎淑子さん(66)は、ともに働く北山真樹さん(44)と顔を見合わせてほほ笑んだ。どこにでもいるお母さんのようなやわらかい笑顔。しかし、2人は、終末期のケアを追求する同志だ。
人生の終末期を自宅で過ごしたいと願う人が、8割もいるといわれるが、ひとり暮らしや老々介護、家族の負担といった理由で、多くの人が病院や施設で最期を迎えざるを得ないのが現状だ。ならば、住み慣れた地域で、自宅にいるような生活を送りながら最期を迎えられる場をつくりたい。そんな思いから生まれたのが、「ホームホスピス」だ。
2004年6月に宮崎市にオープンした「かあさんの家」が草分け。その趣旨に共感した人たちが後に続き、東北から九州まで全国約20カ所に広がっている。
普通の民家を利用して、生活の音やにおいに囲まれながら、5人程度で穏やかに暮らす。スタッフは疑似家族として24時間のケアを提供。介護や看護、看取りの経験と知識で本人と家族を支える。運営はほとんどがNPO法人で、ホームホスピス開設のために有志で立ち上げるケースが多い。ただ、経営はギリギリで、スタッフ不足から開設当初は代表自ら夜勤を含むケアのシフトに入るなど、運営側の体力的な負担は軽くはない。
嶋崎さんも初めはとにかく「体のつらさ」が募ったという。その状況が大きく変わったわけではないが、4カ月がたち、新しいつらさ、問題も見えてきた。経営面の厳しさはもちろんだが、特に難しいのは人に関わる問題だ。
命の終末期を支える現場では、ケアする側もされる側も表面的な関わり方では済まない。スタッフそれぞれの経験や信念は尊重しつつ、楪としての理念が共有できるよう話し合いを重ねたり、訪問診療や訪問看護で来てくれる医療従事者と介護を担う楪のスタッフの間の異なる立場や思いを調整したり、あるいは入居者と家族の関係がうまくいっていなければ間に立ってサポートしたり、という場面が頻繁にある。どれも簡単なことではない。
20年前、ホスピス病棟で母を看取った後、ホスピスの遺族会の世話人として活動を始めた。介護福祉士の資格を取り、国内外の現場を見学し、宮崎市や神戸市のホームホスピスで研修を積み、この春に「楪」を開設した。もともと起業の経験があったわけではなく、初めての事業主として、不動産契約や法人設立手続きなどで、戸惑うことも多かった。応援してくれる地元の在宅ホスピス関係者や仲間の支えで乗り切ったが、オープン後もさまざまな「つらさ」が日々持ち上がる。
それでも、楪に来たくないと思ったことはない。出勤するとまず2階の事務所に上がり、運営面の業務に取りかかる。困難な問題にぶつかると、1階へ。そこには、こぢんまりした明るいリビングでゆったり過ごす入居者がいる。その顔を見ると、不思議と安心する。
研修先のホームホスピスの代表からは、修了時にこう激励された。「これから大変な目に遭うけど、そこにいる人たちから幸せをもらえるから」。つらさについて話すときも、嶋崎さんが笑顔を見せるのは、それを実感しているからだろう。
研修を縁に知り合った北山さんも、自らホームホスピスの立ち上げを目指し、その準備を進めながら楪を手伝っている。いずれ同じ立場に立つため、相談し合えることも多い。
楪で最初の看取りにも、2人で当たった。がん末期の男性で、たった3日間の入居だったが、本人の強い意向がかない、楪での時間を穏やかに過ごした。その男性は、運営者としての悩みを抱え始めていた嶋崎さんに、それを知ってか知らずかこう言った。「自分がきちんと頑張れば、人はついてくる」。その言葉は今も嶋崎さんの支えになっている。
「新しいつらさ」はこれからも出てくるかもしれない。そのつらさと向き合い、克服し続けていくことが、よりよいケアにつながると信じている。2人の笑顔の裏には、強い意志と覚悟がある。(日本財団 公益・ボランティア支援グループ 及川春奈/SANKEI EXPRESS)