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ジャズの革新者 変えたマイルスの魔法 ハービー・ハンコック自伝「ミス一転、奇跡のソロ」
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半世紀を超える活動歴を誇るジャズピアノの第一人者、ハービー・ハンコックさん(74)が初の回想録「ポシビリティーズ(可能性)」を発売した。ジャズ界だけでなく、R&B(リズム・アンド・ブルーズ)やヒップホップにまで多大な影響を与えた真の革新者である彼が、師といえる伝説的な米トランペット奏者、マイルス・デイビス(1926~91年)とのステージで人生における新たな“可能性”に目覚め、仏教への信仰心と家族の助けで麻薬中毒を脱した逸話などを赤裸々に披露。“可能性”を求め続ける大切さを真摯(しんし)に訴えている。
米シカゴ生まれで7歳からピアノを習得。11歳でシカゴ交響楽団と共演するなど神童ぶりを発揮したハンコックさん。1960年からプロ活動を始め、デビュー作「テイキン・オフ」発表翌年の63年から68年までマイルスの五重奏団で活躍した。
サックス奏者のジョン・コルトレーン(1926~67年)やベース奏者のロン・カーター(77)など、マイルスのバンドは将来性のある若手演奏家の発掘と育成が巧みなことで知られ、ハンコックさんの在籍中にマイルスは「マイ・ファニー・バレンタイン」(64年)や「フォア・アンド・モア」(64年)といった名盤を発表した。ハンコックさんは「処女航海」(65年)以降ソロ活動を本格化させ、今日に至っている。米音楽界最高の栄誉であるグラミー賞を14回受賞した。
そんな上り調子だったハンコックさんの人生を変える出来事が起こる。67年、スウェーデンの首都ストックホルムでの夜のステージ。代表曲「ソー・ホワット」(59年)の演奏中、ウエイン・ショーター(テナー・サックス奏者)のソロに続き、マイルスがたたみかけるような演奏でバンドを牽引(けんいん)した直後、ハンコックさんは間違ったコード(和音)を弾いてしまった。
ジャズにとってコード進行は演奏の設計図に等しく、致命的なミスだったが、マイルスはすぐさま間違ったはずのコードに反応し、何事もなかったかのように全く違った楽曲展開で新たなソロを爆発させたのだった。
ハンコックさんがかつて「みんながテレパシーで通じ合った魔法のような夜」と評したステージだが、回想録ではこの出来事で「人はチャンスの獲得より安全な方策を選ぶ傾向にあるが、ジャズでは(危機に直面しても)自分を信頼することがアンチテーゼ(ある命題を発展的に否定する命題)につながる」と悟り、人生における重要な教訓になったと明かした。
また、回想録に関するAP通信とのインタビューでは、72年から信仰している仏教について「そこから学んだ最も重要なことは、私の人生の中心が音楽家であろうとすることではなく、人間であろうとすることだと分かったことだ」と明言。90年代の麻薬中毒を乗り切れたのも仏教で学んだこの精神と家族の助けがあったからだと訴えた。
「マイルスはわれわれに対し常に新たな挑戦を求め、創造性を刺激した。現状打破のため規則を破る必要性を感じていた」と語るハンコックさんは、彼との活動でこう学んだという。
「もし何かを成し遂げようと決意したら、人生であれ、音楽活動であれ、探求することと学ぶことを決してやめてはいけない」(SANKEI EXPRESS)