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皇族方の「学習院離れ」加速 少ない選択肢…学科新設も実らず

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皇族方の「学習院離れ」加速 少ない選択肢…学科新設も実らず

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秋篠宮邸内でハーブを収穫される眞子さま、悠仁さま、佳子さま。眞子さまと佳子さまは国際基督教大学(ICU)を選ばれ、悠仁さまはお茶の水女子大付属小学校に通われている=2014年8月7日(宮内庁提供)  学習院大を中退した秋篠宮ご夫妻の次女、佳子(かこ)さまが国際基督教大(ICU)のAO入試に合格し、来年4月から通学されることになった。学習院にご在学の皇族方は皇太子ご夫妻の長女、敬宮(としのみや)愛子さま(女子中等科1年)お一方となり、“皇族の学校”の伝統が風前のともしびとなっている。背景にあるのは、大学の魅力の問題か。それとも時代の流れなのか。

 「満足されていない」

 「特に広く教養科目や英語を学びたい」

 宮内庁によると、佳子さまはご進学先にICUを選んだ動機をこう説明されているという。学習院大で通われた文学部教育学科は、ご入学と同じ昨年4月に新設されたが、お引き留めするには至らなかった。

 「若い世代の皇族方が学習院での教育に満足されていないのは間違いないだろう」。初等科から大学まで通った学習院OBで、天皇陛下のご学友だった元共同通信記者、橋本明氏(81)はこう分析する。

 陛下は初等科から大学まで、皇太子さま、秋篠宮さまは幼稚園から大学までご通学。大正天皇と昭和天皇も専門機関で帝王学を学ぶ前に学習院初等科に入っていた。1926(大正15)年発令の皇族就学令(廃止)では第2条に「皇族男女ハ(中略)学習院又ハ女子学習院ニ於テ就学セシム」と明文化され、名実ともに皇族の学校だった。

 一貫した教育方針

 だが、高円宮妃久子さまの長女、承子(つぐこ)さまが学習院女子大を中退し、最終的に早稲田大国際教養学部をご卒業。三女の絢子(あやこ)さまも福祉分野を学ぶため城西国際大、大学院(千葉県東金市)に進まれた。さらに、佳子さまの姉、眞子(まこ)さまは今年3月にICUを卒業された。

 ただ、このお三方は女性皇族で、少なくとも高校までは学習院で学ばれた。皇室の「学習院離れ」を決定づけたといえるのが、佳子さまの弟で皇位継承順位3位の悠仁(ひさひと)さまが、お茶の水女子大学付属幼稚園、小学校を選ばれたことだ。

 学習院は現状をどう受け止めているのか。

 常務理事の耀(あかる)英一氏は「結果的にそうなった。それ以上でも以下でもない」と説明する。明治以降、「道徳・智力・気品・体力」の養成を掲げており、「一貫した教育方針で、歴史と伝統を築いてきた。今後も変えるつもりはない」という。

 2016(平成28)年4月に52年ぶりに国際社会学部が新設される予定だが、橋本氏は「皇族方が国際親善で頻繁に海外に出かけられる時代に、国際関係の学部がないのは不十分だった」と指摘する。眞子さまがICUに進まれた際も、学習院の選択肢の少なさがネックとされた。

 時代の流れ

 一方、皇室ジャーナリストの久能(くのう)靖氏(78)は「時代の流れからもやむを得ない」との見方を示す。社会全体で個人の自由をより尊重する風潮が広まり、「若い皇族方が学びの場を自由に選びたいと考えられても不自然ではない」。

 では、学習院はどうするべきなのか。久能氏は「皇族方にも『多くの学校のうちの一つ』とみられるようになった以上、伝統を踏まえつつ、学生らが何を求めているかを察知して改革していくしかない」と強調する。(SANKEI EXPRESS

 ■学習院 1847年、仁孝天皇の遺志によって公家子弟の教育のために京都御所内に設けられた教育機関「学習所」が起源。70年に閉鎖されたが、皇族・華族のために77年に東京で学習院として再開された。84年に宮内庁直轄の官立学校となり、皇室の特別の保護を受けた。第二次世界大戦後の1947年に私立学校となり、一般に入学が開放された。幼稚園、初等科、中等科、女子中等科、高等科、女子高等科、大学、女子大学を設置している。本部は東京都豊島区目白。

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