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ふるさとTOKYOを撮る 日々変貌する街の魅力探求
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冬の夕方は都心からも富士山がよく見える。国会議事堂正面左側の木立は、子供時代の遊び場所だった憲政記念館敷地。その手前は桜田濠と桜田門=2014年1月29日、東京都千代田区丸の内の丸ビルから(唐木英明さん撮影) 私の「ふるさと」は東京だ。これまでに東京を離れたのは、空襲の激化で長野・伊那谷(いなだに)にある父親の実家に疎開して天竜川を眺めながら暮らした数年間と、米・テキサス大学付属病院のパークランド記念病院(凶弾を受けたケネディ元米大統領が運び込まれた病院)に留学した2年余り、そして芸術と文化の街、倉敷にある倉敷芸術科学大学で学長を務めた3年弱だけである。日々変貌(へんぼう)する東京を見るのはいくつになっても新鮮な感動があり、写真が趣味の私には新たな撮影場所を探求するのが楽しみにもなっている。
子供時代の鮮明な思い出は戦後の混乱期だ。靴磨きや新聞売りで暮らす身寄りがない子供。戦闘帽と白衣という服装で街角に立ち、ハーモニカやアコーディオンを奏でる手足を失った傷病兵。米兵の腕にぶら下がるようにして歩く派手な化粧の女性。貧しく、十分な食料も手に入らない中で、誰もが必死に生きようとする時代だった。
当時の私のお気に入りの遊び場所が、国会議事堂に隣接して建つ、現在の憲政記念館の敷地だ。鉄条網をくぐり抜けると雑木林の中に爆撃でできた穴に水がたまった池があり、タコ糸で結んだスルメの足を投げ入れるとザリガニが取れた。ゆでたザリガニは空腹の子供にとって格別のおいしさだった。その後、米・ニューオーリンズで、ゆでたザリガニを新聞紙で包んで売っている「クロウフィッシュ」に出合った。子供のころを思いだす懐かしい味だった。
≪富士・国会・東京タワー…多彩な表情≫
朝鮮戦争が始まり、新聞紙面が戦争の記事で埋まった小学校時代。近くの公園に街頭テレビが設置され、多くの住民といっしょにプロレスの力道山の雄姿に夢中になった中学校時代。父親のカメラを持ち出して写真に熱中し、押し入れを現像室にしてしまった高校時代。安保闘争で授業がほとんどなく、デモとマージャンに明け暮れた大学時代。オリンピック開催、新幹線開業、首都高速道路の開通、そして給与が毎年1割も上がった高度経済成長を経験した東京大学の助手時代など、思い出は尽きない。
助教授になって以後は仕事漬けの毎日でカメラは封印したが、最近は仕事の量を減らしたおかげで再び写真を撮る時間的・精神的ゆとりができた。お気に入りの題材は富士山、国会議事堂、東京タワー、レインボーブリッジなど。日中は仕事で歩き回ることも多く、仕事が終わった夕方以降に写真を撮ることが多い。満足できる写真が撮れるとフェイスブックに投稿し、寄せられたコメントに励まされて週に2、3回は更新している。
趣味を楽しむことで生活が楽しくなるだけでなく、重いカメラをもって撮影に出かけると運動にもなり、たまに新しい機材を買えば経済の活性化にも役に立ち、一石三鳥。そんな言い訳をしながら、交換レンズをもう1本買おうかと考えている。(写真・文:東京大学名誉教授 唐木英明/構成:文化部 平沢裕子/SANKEI EXPRESS)