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政治
【安倍政権考】首相と対極的 金丸氏の政治手法
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訪朝し、金日成主席(中央)と握手を交わす自民党の金丸信(かねまる・しん)副総理(左)と社会党の田辺誠副委員長(右)=1990年9月26日、北朝鮮(奥村茂撮影) 今年はかつて日本の政界を牛耳った故・金丸信(かねまる・しん)元自民党副総裁が今年9月に生誕100年を迎えた。この節目に、金丸氏の政治手法について一つの考察をしてみたい。というのも、金丸氏の地元・山梨では年明けに県知事選(来年1月8日告示、25日投開票)が行われる。山梨県知事選の歴史をひもとくと、社会党とのパイプを強みにした金丸氏のスタイルの原点が透けてみえる。言うまでもなく、その有り様は左翼勢力に堂々と戦いを挑む安倍晋三首相(60)とは対極的だ。
知事選には、元衆院議員の後藤斎(ひとし)氏(57)が立候補する。民主党出身ではあるが、民主党のほか自民、公明両党も後藤氏の推薦を決め、相乗りの構図がすでに固まっている。
自民党山梨県連は11月22日、昭和町内で県内各支部の役員らを集めた会合を開催。独自候補を擁立できなかったことに県連執行部の責任を問う声も上がり、清水武則県連会長は「心からおわびする」と陳謝した。山梨に関係がある国会議員は「苦渋の決断だった」と語る。
だが、自民、民主両党が相乗りで特定の候補者を推すことは、最近では10月の福島県知事選にみられたように、決して珍しくはない。ましてや、山梨ではその昔、知事選は自民党と旧社会党が手を握って知事を当選させる「保革連合」が繰り返された。
1979年2月の知事選では、元衆院議員で当時現職の田辺国男氏が4選を目指し出馬した。田辺氏とライバル関係にあった金丸氏は多選批判を展開し、社会党と手を組んで副知事だった望月幸明(こうめい)氏を擁立した。勝ったのは望月氏だった。
もっとも田辺氏も、初当選した67年1月の知事選で、社会党と「県政刷新連盟」と称した組織をつくり、「保革連合」で当時の天野久知事を破っている。
金丸氏といえば、90年に当時の社会党の田辺誠副委員長らと自社両党の代表団を率いて訪朝し、金日成国家主席と会談している。このとき朝鮮労働党と日朝国交正常化に向けた3党共同宣言をまとめたが、「戦後45年の償い」を求める文言が含まれていたため、帰国後、国内の批判を浴びた。
金丸氏生誕100年の今年は、金丸氏の長男でテレビ山梨社長の康信氏が団長を務める訪朝団が北朝鮮を訪ね、9月8日に金永南最高人民会議常任委員長と面会した。
朝鮮新報のホームページには、9月26日に甲府市内で行われた解団式の様子を伝える動画が載り、訪朝団の「感想」が文字で流されている。
「訪朝を通して、朝鮮への印象が変わった。知り合いに朝鮮の魅力をどんどん伝えていきたい」
「金永南委員長との面談は一番印象に残っている。これは、日朝国交正常化のために、献身した金丸元副総理の功績があってこそ実現できたと思う」
金丸氏は、社会党議員と良好な関係を維持したが、これは主に国対委員長時代に築き上げたものだ。その延長線上に田辺誠氏との金丸訪朝団があるのは間違いない。山梨県知事選と金丸訪朝団と、金丸氏はいずれにおいても社会党を取り込んで影響力を行使した。イデオロギーの対立は横に置き、「55年体制」というなれ合い社会を体現させた象徴というべき存在だったといえる。
一方の安倍氏は、首相を辞任し、出身の最大派閥「清和政策研究会」をバックにキングメーカーになっても、金丸氏のスタイルをとることはないだろう。社会党を民主党に置き換えても、首相がリベラルの体質をもつ民主党と協調することは到底考えられない。それは保守政治家の矜恃といえる。(坂井広志/SANKEI EXPRESS)