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ピエロだった小保方氏 渡辺武達

 理化学研究所(理研)が19日、小保方晴子(おぼかた・はるこ)氏が行ったSTAP細胞の再現有無を調べる実験でも細胞は作製できなかったとし、検証実験を打ち切ると発表し、小保方氏が退職願を出したことも明らかにした。これを受けて、下村博文(しもむら・はくぶん)文部科学相も閣議後の会見で「STAP細胞が存在しないと確定した」と語った。

 真偽不明の垂れ流し報道

 筆者はすでに4月23日付の本欄で「小保方氏は『200回作製に成功した』と言っているのだから、小保方氏自らが、その成功したやり方を検証者たちに伝授し、理研だけでなく文部科学省も総力を挙げて検証を行えば、半年もたたずに真偽が判明する」と書いた。

 今回の検証は9月16日から50日間、小保方氏本人と、それとは別に特別編成されたチームの2つで行われ、いずれも再現できなかった。つまり小保方氏らの最初の発表論文は、「捏造(ねつぞう)」とであったと言われてもしようがない。

 だが、これは論文の実験手法などの内容が真実ではなかったということにすぎず、幹細胞になんらかの刺激を与えると万能細胞に変化するという可能性が否定されたわけではない。京都大学の山中伸弥教授らにしても「成熟細胞が初期化され、多能性をもつことの発見」によりノーベル生理学・医学賞を授与されたわけで、不眠不休に近い実験の繰り返しのなかで、偶然起きた現象がそれであった。

 基本は「腸管出血性大腸菌O157」がそうであるように、なんらかの刺激に反応してある種の「突然変異」が起きることがあるという、それこそ「偶然」である。ペニシリンの発見も努力の中での偶然の奇跡といえるものであった。

 メディア側にも問題がある。今年1月のSTAP細胞論文の発表時の報道は、理研から事前説明を受け、予定原稿を準備、その上で形式的な記者会見が行われ、翌朝一斉に大報道した。つまり、テレビも新聞も提供された情報の真偽を判定できずに、そのまま垂れ流しで報道していたことになる。その後、論文に疑義が出されると、今度は疑惑報道に狂奔し、理研の実験で再現不可が発表されると、それについても大ニュースとして報道した。

 「医者」として質的向上を

 メディアは情報を伝えるだけで、その判断はオーディエンス(読者・視聴者)に任せるという弁解は通用しない。人々はメディアが社会の「医者」であり、「自分たちの目となり耳となり奉仕する」ことを期待している。

 同様な深刻な状態は学界にもある。STAP細胞論文への疑義が濃厚になった段階で、すでに世界的にも名の知られた業績があり、論文の共同執筆者で、小保方氏を指導する立場にあった理研の笹井芳樹氏が自殺している。

 筆者も医学関係の研究論文が掲載される専門雑誌などに接することがあるが、そこには共著者として10人を超える名前が載っていることがしばしばある。研究室の代表者は何もしていなくても、研究資金を確保することができるなどの理由で、名前が載せられるという。さらに今回の論文では、米ハーバード大学のチャールズ・バカンティ教授の名前も共同執筆者として名を連ねている。

 論文に名前がないと研究員や教員に応募しても、業績不足ということで採用されないので、仲間内の「温情」で論文に名が載ったりする。また、著名な研究者の名が載っていないと、文部科学省による各種研究補助も獲得しにくい。今回の問題は、人びとの幸せを増進するという肝心の科学の基本がどこかへ飛んでいって、社会が過剰な期待をかけ、それが圧力になるという構造的な問題が背景にある。

 その意味で、小保方氏はある種のピエロである。メディアも自らの責任を確認し、質的向上を図らねば、第2、第3の小保方氏が生まれ、虚脱感だけが残ることになる。(同志社大学社会学部教授 渡辺武達(わたなべ・たけさと)/SANKEI EXPRESS

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