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現代はとにかく難しい 町田康
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(町田康さん撮影)
私は読み狂人。朝から晩まで読んで読んで読みまくった挙げ句、読みに狂いて黄泉の兇刃に倒れたる者。そんな読み狂人は現代社会に生きているが、現代というものは難しいものだなあ、と思う。
というのは例えば音楽。普通に音楽と言えば、みんなで楽しく、小皿叩いてちゃんちきおけさ、カラオケで歌ったり、或いはロックコンサートで会場がひとつになったり、と楽しい印象しかないが、これに現代という言葉がついて、現代音楽、となると途端に小難しくなって、みんなで楽しく、ではなく、一人で苦しく、聴く感じになる。
それは現代アートでもそうだし、現代詩でもそう、なんでも現代とつくと途端に難しくなるのである。
なぜそうなるかと言うと、現代を生きる人間が歴史を把握するように現代を把握できないからである。
なぜ把握できないかというと、自分も当事者だからで、それが何十年も前のことであれば、あれがああなったのは、これがこうなったからで、一方、その頃、それがそうなったから、あれがそうなって、これがああなったため、それがこうなって、あれとそれがこうなった。という風に事態の推移を大雑把につかむことができるのだけれども、いま同時に起きていることは、いろんなレベルで難しいため、現代は難しく、だから頭に現代とつくと途端に難しくなるのである。
なので現代文学というのも難しい、ということに当然なり、それはまあ、実際そうなのだけれども、意外に難しくない場合もあるというか、え? こんなスポスポしちゃってていいの? いいのかよ、こんなにキポキポしちまって。お母さんはオッケーと言っているのですか? ママOK? みたいなものすらその中に含まれているというのは、ひとつには文学、ことに小説が良きにつけ悪しきにつけ人情を描くものだからであると思われる。
勿論、現代の人情はそうした難しい各種の現代に関連して成り立っているので、それをまともにやると難しくなってしまうのだけれども、けれども人情には他の理論や理窟と違って、必ずしも最新のものを用いる必要がない、という特殊事情があり、また、特に優れた人情でもないものを小説家が作者という立場を利用して、これぞ人情!と作品内で吹聴すれば、その人情を中心にすべてが回るようになるので、割とわかりやすい、プクプクしたママOKの世界を拵(こしら)えることができ、多くの場合、作者の技術は、その部分に力を発揮するのである。
しかるに、この藤谷治『現代罪悪集』は、そうして都合よく拵えた人情ではなく、どこで誰がどんな意図を持ってなにをしているのかさっぱりわからない割に、その顕れだけは、ひりひりと感じ、その気になれば精(くわ)しく克明に知ることもできる現代の人情を、物差しとして使い勝手のよい、手に馴染んだ人情ではなく、どこにでもある現代の人情の表れとしての作者の視点とぶつけて描いている。
そしてそうすると右にも言うように現代なので難しくなってしまうところ、ぜんぜん難しくなく、それどころかとてもおもしろいというのがこの小説集の善きところ、と読み狂人は思って、モダン焼きでも食して肥満してこまそうかなとも思って。(元パンクロッカーの作家 町田康、写真も/SANKEI EXPRESS)