ニュースカテゴリ:EX CONTENTS
トレンド
もしも日本という国がなかったならば 「世界はうんとつまらなくなるだろう」byパルバース 松岡正剛
更新
【BOOKWARE】編集工学研究所所長、イシス編集学校校長の松岡正剛さん=9月14日、東京都千代田区の「丸善丸の内店内の松丸本舗」(大山実撮影)
He fancies himself as a cat
On satire’s tatami mat
And being a feline
He makes a quick beeline
For mischief wherever it’s at
私はほんとは猫である/ひねもす畳に寝転がる
そこはそれでも風刺屋キャット/半畳入れるはいつでもさっと/獲物と見れば飛びかかる
これは英語圏で「リメリック」と呼ばれる滑稽詩を踏襲したもので、韻を踏みながら漱石を語呂よく案内してみせている。ロジャー・パルバースの『五行でわかる日本文学』の中の一編だ。パルバースは東工大の世界文明センターの元所長だが、とんでもなく日本に詳しい。
ぼくはできるだけ多くの日本人がパルバースの本を読むといいと思っている。とくに『もし、日本という国がなかったら』と『日本ひとめぼれ』だ。もしこの世に日本がなかったら、世界はうんとつまらなくなっていただろうが、そのことを一番わかっていないのが日本人なのではないかと告げている2冊だ。かなり説得力がある。
パルバースは「一楽、二萩、三唐津」がわかっているし、宮沢賢治にも井上ひさしにも通じている。俳句の切れ字、『枕草子』の趣向、イッセー尾形やつかこうへいの味が見えている。各地の祭りを見まくり、和辻哲郎の風土論を読み解いた。こんな日本人はめったにいない。UCLAとハーバードの大学院をへて、1967年から日本で活動を始めたが、さまざまな縁あって若泉敬と一緒に仕事をしたし、大島渚の『戦メリ』づくりにも参加した。若泉はニクソン・佐藤が「核持ち込み密約」を結んだときに現場にいた唯一の民間日本人である。
では、もうひとつ。今度は村上春樹についての御案内リメリックだ。
He is the great Japanese challenger
(あっぱれ日本のチャレンジャー)
Who took on the pugnacious Salinger
(翻訳したのはサリンジャー)
To him we’re be’Holden
(おかげで新たなホールデン)
For a translation that’s golden
(読者は感謝しておるでん)
And a Caulfield who’s raunchy and mad at ya!
(いんちき大人に怒ってるんじゃ)
これまで、外国人の眼で日本文化を絶賛する本も、日本社会に文句をつける本も多かったが、この本のように日本の表層と中層と深層を貫いて、哲学からポップカルチャーまで読み解いてみせた本はめったになかった。胸がすく本だ。本書はパルバースが日本に来た理由も、日本に執着した理由も、どんな日本人と仲が良くなったかということも、全部書いてある。みんなが読んでほしい。
これは「失われた20年」以来の日本がいまだに抱えている諸モンダイを、次々に抉(え)ぐっている。それとともに日本人の低迷と勘違いアイデンティティーを打破するための視点を次々に提案している。パルバースは、「日本の多元的と多様性」に自信をもたないかぎり、日本はどんどんダメになると見る。大賛成だ。日本は日本自体がグローバルなのだ。それがわかるには、祭りと日本文学とユーモアを取り戻さなければならない。
上にも紹介したように、リメリックに代わる日本文学案内だ。紫式部、世阿弥、芭蕉、近松、漱石、鴎外、太宰、安吾、谷崎、川端、三島、宮沢賢治、井上ひさし、村上春樹ら、25人の特徴が抜群のセンスで、語呂よく掲示される。パルバースにはこのように、ユーモア感覚によって本質を掴むという能力がある。日本の社会文化について、パルバースは実際にもかなり時間をかけた観察と理解を費やしてきたのだが、その表現力もすばらしい。
リンガ・フランカとは世界共通語のことだ。本書は「日本語がリンガ・フランカにふさわしい」と強調する。これまで、そうならなったのは次の3つが阻んできたからだ。(1)日本語は日本人特有の特殊性をもつ。(2)日本語は曖昧だ。(3)日本語を外国人が使うのは難しい。パルバースはいずれもノーであると断言する。だったら日本人はもっと自信をもっていいのだが、それには日本人が「何を学ぶか」から「いかに学ぶか」に転換すべきなのである。(編集工学研究所所長・イシス編集学校校長 松岡正剛/SANKEI EXPRESS)