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みんな錯覚したがっている われわれは「だまされやすい脳」の持ち主なのである 松岡正剛
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<図01>チェッカーシャドウの錯視
錯覚や錯視にはいろいろある。最もよく知られているのは
このほか、ウサギに見えたりアヒルに見えたりする「多義図形」、単純な反復図形の中に見かけ上の歪みが生じる「幾何錯視」、明暗や濃淡をまちがって見てしまう「光滲(こうじん)図形」、地と図が反転すると別の図形が見えてくる「地-図反転図形」など、錯視図形といっても、その種類はけっこう多い。
いったい何がおこっているのか。謎は視知覚と脳との関係にあるとしか考えられない。ところがそのメカニズムがなかなかわからない。これまでは主に心理学の分野がこの謎に挑んできたのだが、いまだ謎の多くは解けていない。そこで東大の数理科学の新井仁之教授が数学的解明に乗り出して、その謎の一端を数理視覚科学として次々に証しつつあるのだが(大変すばらしい成果だ)、これを理解するにはいささか数学力が必要で、おそらく一般人からの理解はまだ遠いと思われる。
謎の解明はともかくも、錯覚や錯視やだまし絵やトリックアートはたいそうアメージングなので、子供から大人までついつい魅せられてきた。理由は明快だ。われわれは「だまされること」が嫌いではないからだ。とくに部屋の中の人物の大小が狂って見える「エイムズの部屋」なんて大好きだ。いや、判じ物も謎々もビックリハウスも好きなのだ。ここには紹介しなかったけれど、もっと本気でだまされたいなら、トロンプ・ルイユやアナモルフォーズの歴史に踏みこんでみるといい。美術こそ錯視だったのである。
フランスの分子生物学者が遊んだ錯視感覚入門として、広く読まれてきた。全17章。かなり多めの錯視やだまし絵の図版を載せていて、どこからでも読める。説明もなかなかのウィットに富む。翻訳者が丹念に注釈を付けているのも嬉しい。しかし一冊を通して、錯視は結局「脳がだまされているんだ」ということを受け入れる必要がある。ニニオにそれを柔らかく説得されると、ま、いいか、そうだろうなと思えてくる。
ぼくの古い友人で、異才。早くからスタンフォード大学で実験心理学を研究している。「イリュージョンから認知科学へ」とサブタイトルにあるように、認知システムのモデルを幾つか使いながら、錯覚と錯視の究明の入口を説いた。ベラ・ユレシュの両眼視仮説の紹介がおもしろい。下條君には『サブリミナル・マインド』や『サブリミナル・インパクト』といった著書もあって、下意識や無意識と知覚意識との「あいだ」の研究が秀れている。こちらもどうぞ。
いまのところ最も意欲的で、かつわかりやすい錯視案内本だ。「錯視の科学館」がまとめた。1「錯視の歴史」、2「錯視の技」、3「錯視と科学」という構成で、内容もアプローチの仕方も実例も充実する。一家に3冊、ぜひ揃えたい。上記にもふれたように、新井教授は数学や数理科学の本格的な専門家であるが、錯視の世界を作り出すことにおいてもすばらしく、その方法が必ず数学的に裏付けられているところも、他の研究者を何歩もリードする。
この本は錯視の本というより、錯覚やだまし絵を巧みに使った謎々遊びをふんだんに紹介しているもので、そのぶん子供も大人も「アタマの体操」ができるようになっている。錯視クイズが解けたからといって、IQが高いとかアタマがいいというわけにはいかないが、「だまそうとしている」問題を解くことは、人にだまされるよりずっと痛快でもある。ただし、本書のお題の5分の1が解けないと、そうとう自分にがっかりして、人生が嫌になるだろう。(編集工学研究所所長・イシス編集学校校長 松岡正剛/SANKEI EXPRESS)